中垣:例えば覚醒剤を常習していて、街中で叫んでいる人がおるとするやん。ほんでその人が叫んでいる理由が幻覚で、例えば目の前に虫がうわーっと出てきたから叫んでいるのだとするとさ、その人は自分が知覚した刺激に対しては至極真っ当な反応をしていることになるやん。
松田:せやな。
中垣:つまり、彼をキチガイと呼べるのかって。
松田:彼はインプットがおかしいだけで、それに対してのアウトプットはまともなわけやんな。
ケイコ:でも本人が説明してくれないと、彼がなんで騒いでいるのか周りの人には分かんないよね。
中垣:虫が幻覚で見えるとかは極端な話やけどさ、要は見えているものが人と違う、認知が人と違うとさ、それだけで気が狂ってるってなっちゃうわけやん。
中垣:似たような話として、いわゆる「コミュ障」の話があると思うねん。コミュ障的な挙動をとるのって結局は環境に依るわけやん。だから例えば、六本木でイケイケの、お金持っててええ車乗ってモテてますみたいな彼も、パリコレの会場みたいにモデルがわんさかいるようなところに放り込まれたら、そこでは肩身狭なるわけやんか。要はその人の認知次第で、その社会に馴染んでいない行動はとられ得るって話、一般化すると。
ケイコ:うん。
中垣:例えば、自閉症のことなんも知らんけど、見え方が違うわけやん?
松田:せやな。
中垣:つまり認知が違うから浮いた行動をとるっていう話。行動そのものに原因があるんじゃなくて、認知している世界が違うから結果としてそういう行動をとってるっていうこと。
松田:そういう認知を前提にすると、そういった振る舞いは特におかしなことではないってことやんな。
中垣:そうそう。だから自閉症を説明するなら、そういう行動をする人っていう説明じゃなくて、そういう認知の仕方をする人っていう説明の方が正しくて、行動はその結果であると言った方がいいんじゃないかという話。
松田:そうやんな、振る舞いそのものを問題にしてもあまり意味はないよな。そっちの方が説明として楽なんは分かるけど。
中垣:振る舞いは観察可能やからな。
松田:まあ自閉症に関してはあれやけどな、当事者の認知している世界がどういうものかということが主題になっている感じはちゃんとあるけどな。『自閉症の現象学』っていう本があるねんけど、彼らの見ている世界がどういうものかという点からはかなりおもろい本やったで。
村上靖彦『自閉症の現象学』勁草書房→
中垣:あとはこの考え方はそもそもピースフルなものでさ、なんて言うか、ヘイトとかなくなるやん。「〜なやつがいる」じゃなくて、「〜な物の見方をするやつがいる」になるわけやから。
松田:自分とは違う考え方の人を本質的に捉えることがなくなるよな。
「彼はこう感じているんだなァ」って思えるようになる本
東山紘久『プロカウンセラーの聞く技術』創元社
2019年8月23日
東京ミッドタウン