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思索

スポーツ経験の言語化

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みなとスポーツの世界って、きちんと言語化されているような他の世界から比べるとすごいギャップがあるんだよ。スポーツをしない人からすると理解できないマインドみたいなのあるじゃん、変な根性論というか。例えば勝つために気合い入れて前日に泣いちゃう、みたいな。でもそういうのって、変なことだよなと思いつつも異様に原体験的に実感があるんだよね

よけい:あー、まあ分かんなくはない。

みなと:例えばそれを、試合の直前にはプレッシャーを感じます、みたいに適当に言語化することはできるんだけど、それだとあの内的感覚は全然正確には説明できていなくて、それがすごく変な感じがする。スポーツを通じて全員が同じ経験をしているわけではないのに、実際には差別のない言葉でしか説明されないじゃん。「集中力」とか。

松田:容易な言語化は許されないけれど、しかし確信に満ちた内的経験があるっていう話?

みなと:うーん…なんかね、気持ち悪いんだよ。変に断絶がある気がして。松田に伝えられないわけだよ

松田:まあそうやな。

みなと例えば試合の「流れ」って言ったりするんだけど、そんなこと言っても別に何か実際の流れがあるわけじゃないじゃん。あとは対戦相手の「格」とか言うんだけど、別にそれも明確にあるわけではないし。それでも「あの試合は流れが悪かった」とか言っちゃうんだよ

松田:みなととしてはそこに対して、もう少し緻密な言語化があってほしいって感じ?

みなと:うん。普段の生活の言語化とスポーツの経験の言語化にすごく断絶がある気がして、それが気持ちが悪いと思っている。ちゃんと説明できないというか。

2019年8月23日
東京ミッドタウン