松田:日本の各家庭に風呂が付くようになったんっていつ頃なん?
ちさと:うーん。うち全然詳しくないけど、あれちゃう? 核家族になって住宅のモデルみたいなのができてからやから…50年代とか?
みなと:え、そんな昔なんだ。僕あれだわ、サザエさんの世界観では家に風呂ないと思ってたわ。
サザエさん観たことある?
ちさと:50年代くらいからなんじゃないかな。一戸建ての夢みたいな、そういうのがきっかけにある気がする。
ちさと:でもまあ、今銭湯に来ているお年寄って、言うても風呂なしアパートに住んでいるわけじゃなくて、普通に自分の家に風呂はあるんだけど、「家の風呂は家の風呂だよね」みたいなスタンスで、ほぼ毎日銭湯に来ているっていう人が結構多くて。
松田:それはどういうことなん? 彼ら彼女らは銭湯に何を見てんねんやろ。つまりプラクティカルには一緒やん、家の風呂も銭湯も。情緒的な何かを見てるん?
ちさと:いや、別に情緒でもないんじゃない? なんかすっごいドライやし。何でわざわざこの銭湯に来て、あっちの銭湯には行かないんですかって言うと、「いや近いからね」みたいな。
松田:プラクティカルやな。
ちさと:やっぱ解放感なんじゃない? なんかこう、フランス人がテラス席でご飯食べたいみたいな。コーヒー飲むのに、別に家のリビングでもいいが…みたいな。
ちさと適当過ぎん?
松田:風呂に対して要求するものがそもそも単純じゃなく、家の風呂では我慢できなくなってる感じ?。最低限家の風呂でも事は足りるけど、あれで風呂って言うのはちょっとしんどいものがあるわな、みたいな。
ちさと:確かに確かに。狭苦しいし。
いや、お前が言ったんやん
松田:今日みなとが仕事休みやったからcommmonに来る前に銭湯に行っててんけど、結構謎が多くて。銭湯って大体さ、湯船のキャパに対して蛇口多過ぎやしさ。
ちさと:そうそう。めっちゃ面白いよなあれ。温泉とかやったらさ、みんなお風呂に漬かりに行ってるわけやんか。だから蛇口の方が少ないねんけど、銭湯ってお風呂のキャパそんなないのにシャワー多いよね笑
松田:あれはどういうスタンスなんやろう。かつてはああいうバランスが事実として必要とされてたん?
ちさと:あとやっぱね、自分の体を洗うのにめちゃくちゃ時間をかけるよね、お年寄りは。
ただでさえカサカサなのに…
松田:あ、確かにそう。
ちさと:30分くらい洗ってるもん笑
松田:そう。だからあのキャパ通りの時間の使い方をみんなしてるわけやんか。全然意味分からん。
ちさと:そうそう、そうやねん。彼らのお風呂の入り方からするとあの比率っていうのがすごく合理的で
みなと:…今調べてたけど60年代後半から70年代にかけてっぽい。各家庭にお風呂がつくようになったの。
ちさと:あ、じゃあもうちょっと後やったか。なんか最初に建築学科で学ぶような一戸建て住宅っていうプロトタイプができたのと同じ50年代なんじゃないかって思ってんけど、結構ラグあるな。
みなと:単純に普及するのにラグがあったんじゃないじゃかな。
松田:銭湯には風呂に入りに行くっていうよりは、シンプルに体を綺麗にしようと思って行ってたんやろうな。
中垣:昔って、ほんまにみんな家に風呂がなくて銭湯に行ってたん?
みなと:それも調べたけど、結構そうっぽいよ。戦後しばらくは庶民の家に風呂はなくて、そっからだんだん豊かになって高度経済成長期になるにつれ、一気に普及して。
中垣:それってさ、それこそ公団の、ああいう時代なんかな。
ちさと:そう、たぶん51C型みたいなのができたのが50年代とかやから…
松田:51C型?
51C – artscape→
ちさと:そもそも住宅っていうものは元々はビルディングタイプではなくて。それが住宅っていう、家族のためのひとつの何かになったのが、そういうアイデアが出てきたのが50年代くらい。
松田:それ以前っていうのはどんな感じやったん?
ちさと:たぶん長屋とかなんかな。あとは店舗付き何とかとか。
中垣:でも昔の東京の住宅とかってさ、どういう感じなん? 長屋なんかな。
松田:確かに、ちょっと郊外に行くと木造の一軒家が道沿いに並んでて、っていうイメージがあるな。
中垣:と思うけどね。都市部の高層マンションで標準化が始まったのが51Cとかやろうけどさ、51Cはあれは公団やからさ、住宅不足でマンション建てなしゃあないからどうしようかっていう規格やけど、たぶんそれ以前に、理想の戸建てみたいなんが絶対あったはずやねん。どっかで見てことがあるねんけど、たぶんそういう時点で、デフォで風呂があるっていうアイデア自体はあったんちゃうかな。東京で見られるいっちゃん古い時代の木造が、たぶんそういう時代のやつやと思う。
ちさと:何とかLDKみたいなのができたのが、さらにその後やんな。
中垣:うん。結構後やと思う。
松田:じゃあそのさ、お風呂があるっていうスタイルがひとつの理想として固まった後、実装されていったのはどういう機会を通じてなん?
中垣:実装…うーん。というかその順序かどうかも怪しくて、むしろ風呂のある生活っていうので売り出したんかもしれん。
松田:あー、なるほどね。
中垣:ていうかそっちな気がする。だって、銭湯なんて腐るほどあったやろうし、特に風呂を作る必要はなかったけど、風呂がついてる家がかっこいいみたいになって、どんどん広がっていったんやと思う。
ちさと:この前ジャカルタのスラムに行ってんけど、そこも公衆浴場みたいなのがあんの。そもそもそのスラム自体が結構やばくて、2m*3mの五階建てとかがあるねんやんか。
松田:2m*3m…?
ちさと:そんなんが普通にあるような、まじの密集スラム街やねんな。
松田:その五階建ては雑居ビル的なものとしてあるん?
ちさと:違う違う。住宅やねん。はしごみたいなんで上がっていくねんけど。
松田:やば。それ何で作られてんの?
ちさと:それはね、さすがにコンクリートやった。その他の建物は大体一階がコンクリートで、二階以降が木造、勝手に増築していくって感じで。
松田:やっば。
ちさと:そこにもちょいちょい公衆浴場みたいなのがあってん。銭湯みたいに立派なものじゃなくて、ただ単に水がそこにあってそれだけで素晴らしい、みたいな、そういうのやねんけど。それに加えて最近ではみんなの家にトイレができ始めたんやって。やっぱりみんな、自分の家にトイレが欲しいっていうのが第一段階らしい。
松田:でもトイレは欲しいよな。なんかインドとかでさ、トイレの普及が必要!ってNGOの人達が言っている理由の一つがさ、そういうとこの公衆トイレってレイプめっちゃあるらしいねんな。
ちさと:あー、なるほどね。
松田:から、とにかく女性は手洗いには行きたくないらしい。だから限界まで我慢してみんなで集まって、10人くらいで連れションするらしい。
ちさと:やば。
*一戸建て住宅が大衆のひとつの理想になったのは、会話の中で触れられているよりもさらに以前のようです。阪急電鉄の宝塚線が開業したのが1910年ですが、当時の経営者である小林一三は、開業に先立って沿線の土地を買収し郊外の宅地開発をしています。その際、大阪の都市部の労働者に、しみったれた長屋ではなく郊外の戸建てに住もうと訴求しており、また借家が当たり前であった時代に割賦による分譲販売を行っていたことから、この時点で既に、郊外に戸建て住宅を持つことがひとつの理想として生まれていることが分かります。そこで開発された住宅に風呂があったかは調べ切れていませんが、宅地開発以前は本当に何もない、つまり銭湯もない野原みたいな場所を開発した点、一区画100坪で当時まだ都市部でしか普及していなかった電灯設備も完備していた点などから、さすがに風呂くらいついてたんじゃねーのって思います。知らんけど。
2019年10月4日
Starbucks 東京ミッドタウン