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いいこと思いついた 人生 思索

自殺は餓死しか許されません

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中垣:自殺をするなら餓死しか許されないよね。

西川:え、そうなんですか?

中垣:そうです。自殺は餓死しか許されません

西川:へー。

素直

松田:あー、この話知らない? じゃあちょっと一回まとめとこうか。

中垣:笑

松田:この話は、おれがダム湖の底の泥みたいな日々を送っていた大学生のときにまで遡るねんけど、当時自殺するということについてよく考えていたのね

西川:うんうん。

ショウペンハウエル(1979)『自殺について』岩波文庫
Image: Amazon.co.jp

ショウペンハウエル(1979)『自殺について』岩波文庫

松田:自殺したい…とは言わんが、でもその気持ちって全然分かるな、って。それで、そもそも自殺ってありなのかどうかについて考える中で、一概に自殺と言っても手段は様々で、それによって性格も随分と違うなと思ったわけ

西川:うんうん。

松田:例えばビルから飛び降りるとか電車に身投げするとか、これは社会に多大なる迷惑をかけることになるから、その点でシンプルにあかんと思うねん。

大阪・梅田で2人死傷 高校生飛び降り女性に直撃か – 日本経済新聞

西川:あー、そうね。

松田:でもその条件を踏まえても、例えば自室で首を吊るとか練炭を使うみたいなやり方があるわけやけど、その中で最も正当性がある自殺の方法は都心で餓死することやという結論になってん

西川:あー、それなんか聞いたことある気がするな笑

松田都心のコンビニ至近の物件で、なんならUber Eatsのアプリを開いた状態のiPhoneを片手に、それでも餓死できたら…

中垣:それはもうほんまに死にたい人やね。

西川:あー、なるほどね。そうだね。

c 生きるの大変だし、いっそ自殺しちゃう?

松田:例えば「死にたいゲージ」なるものがあって、それが100%になったらほんまに死ぬとして、だいたいの自殺の方法ってゲージが95%くらいのところで、残りの5%を「えいや」で飛び越えちゃってる気がするねんな。

西川:あー…

松田:ビルから飛び降りるのも電車に身投げするのも自室で首を吊るのも、ゲージが100%まで貯まってなくても、最後は勢いで飛び越えちゃうやん

西川:なるほどね。

松田:でも餓死は、ゲージの最後の残り5%まで、勢いで飛び越えることなくしっかりと向き合うことになるわけやん。しかも樹海で餓死とかならともかく、都心で餓死しようとしたらいつでも「やっぱやーめた」ができるわけやん。それでも餓死するのであれば、そいつの人生に提案できることってもうないよ。

中垣:そうやんね。

西川:うんうん。

松田:西川とか絶対無理でしょ? ご飯好きやし。

西川:笑

松田:し、別におれだって無理やで。絶対にUber Eatsでピザスラ頼んじゃう

ピザスライス
Image: Uber Eats

店員が怖いから家で食う方が美味しいんだよな

ピザ スライス表参道 PIZZA SLICE2 – Uber Eats

中垣:でも…絶対に死にたいと思ってるねんけど、死ぬにあたって苦しむのが嫌やから練炭で死にたいです、これはどうなんやろ

松田:あー、まあ分からんではないけど…個人的にはしっくりこんな。

西川:でもそれはありそうだよね。

中垣:でもまあ、いずれにしろちょっと気持ち悪くはあるよね。どっかの時点でプツンって切れてる感じがあるというか。

松田:うーん…なんて言うんやろうな、なんか消極的なんか積極的なんか分からんというか

中垣:分かる分かる笑 そういうことやんな。

西川:うーん…

松田死を選ぶって言っても、それって別に何も選んでないわけやん。だから、生に対して究極的に消極的である結果死ぬのならともかく、わざわざ練炭を準備して死ぬことを選ぶって時点で矛盾してるというか…

これは、あなたが、「永遠の否」か、「永遠の然り」かの選択を迫られる時である。その選択が孔子の言う「学」の意味するところである。それは古典を学ぶことではなくて、生の神秘に深く分け入ることである。

苦闘の結果は、たいていは、「永遠の然り」であり、「御心のままになさせたまえ」である。なぜならば、厭世家たちがいかに否定的に考えようとも、人生は、結局、何らかの形における肯定だからである。

Source: 鈴木大拙(1987)『禅』ちくま文庫

鈴木大拙(1987)『禅』ちくま文庫

中垣分かった、死ぬためにカロリーを使うなってことや

松田:あー、それやな。

西川:笑

中垣:でしょ、これで決まりでしょ。

松田自殺っていう最も消極的なことをするねんから、そのためにはちょっとでも積極的なことはしたらあかんねん。だからおれが自殺をするなら、今ここで心身のブレーカーを落として、店員さんに「閉店ですよ」って言われても無視して虚空を見つめ、脇を抱えられて敷地の外に追い出されても、そこで微動だにせず死を待たなあかんねん。

中垣:そうそう、そういうこと。

松田:うん、これはしっくりきたね。

西川:笑

死ぬか生きるかという問いは、問いが生起する時点で既に何かしらの人生を生きているという点で、全くの検討外れです。我々はその問いに応えるため、自身の人生を抜け出てそれを外から眺めるようなつもりでいますが、問う者と問われる者が不可分である以上、問われる者として想定されているのはもはや何者でもありません。人生は、既になんらかの肯定なのです。

2021年2月28日
Aux Bacchanales 紀尾井町

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