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思索

禅がよく分からん

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酒井:松田さんに教えてもらって鈴木大拙の『禅』を読んだんですけど、問いは問われる前に既に答えられているっていうのがいまいちよく分からなくて…

Image: Amazon.co.jp

鈴木大拙『禅』ちくま文庫→

松田:うーん、例はなんでもええねんけど…例えばさ、「Aの逆ってなんだと思う?」みたいなこと言ってくるやつって言ったら分かる?

酒井:はいはい。

松田:こういうこと言ってくるやつって、ちょっとは「おっ」っと思うようなことを返してくるわけ。「Aの逆は一般的にはBだと思うじゃん、でも実はCなんだよ」みたいな

大学生の頃を思い出してください…チャチな先輩…謎のOB…何かしらの面接…

松田:でもこれってさ、そもそもに立ち返るとなんかおかしいわけ。僕とあなたに共通の課題があって、それにどう手を打とうか…みたいなシーンじゃないわけ、こういう言説が出てくるのって

酒井:はいはい。

松田具体的な課題が存在しない状況で「Aの逆は実はCなんだよ」とか言ってるの。いや、それはただの言葉遊びなんじゃね?って話。そんな、君の思いつきの言葉遊びでマウントとって満足そうにしないでおくれよって。

酒井:笑

松田:で、何が言いたかったかって、個別具体的な例から離れた、全く知に足のついていない形而上の言葉遊びには何の意味もないと思うのね。そんなもの言い出せば何とだって言い得るしさ。

酒井:なるほど…

松田:で、さっき言っていた「問いは問われる前に答えられている」ということについてもそれが言えて

松田:例えばさ、「生きる意味とは」っていう問いがあったとするやん。まあ確かに人々はそのように悩みがちやと。ただその問いってどうなん?って

松田:「生きる意味」なんて、そんな地に足のついていない…つまりどういった現実がそれに対応しているのかちょっとよく分からないような、そういう抽象的な問いに囚われてても何にもならないよね

酒井:はいはい。

松田:結局お前が言いたかったのは、「生きる意味」なんてものではなくて、「仕事にやりがいが感じられないんですけど」「今の仕事すげえ嫌なんですけど」「外車が走ってんの見たら嫉妬しちゃうんですけど」とか、そういう話なんじゃないのって。美味い飯食ったら美味しいと思えるくせに人生もクソもあるかよって。

腹減ったら飯食って、眠たくなったら寝ろって大慧禅師も言ってます。人生は意味とかじゃないんです

酒井:なるほどなるほど。

松田:とりあえず問題の出てきたところまで戻りましょうって話。知性の設定した空虚な概念に囚われてはいかんと。大体において人間の知性っていうのはさ、先に先に、現実を伴わないで進んでいっちゃうわけやん

松田:でも先へ先へ進んでいった結果、いつの間にか話がすげえ抽象的になってるし、だからこそなんかでかい話になっちゃってるわけ。いや、そういうことじゃないじゃんって。そもそも問いの出てきたところまで引き返すと、実は話はシンプルで。

酒井:うーん。

松田:で、「生きる意味」とかほざいてたけど、実は仕事にいまいち納得いってへんだけやと。でも、それでもまだまだ話は抽象的やと思うねんな。もっともっと遡っていくと「上司のあいつがむかつく」とか「ちょっとしたミスした」とか、そういう実にシンプルな話やったかもしれん。

松田:そうやって話を十分に具体的なところに引き戻したら、どうしたらいいかはもう分かるわけ。日常のもっとも具体的なところにまで課題が落ちてきたなら、問いを立てるまでもなく対処できるわけ

酒井:え、そういうこと…? すごい納得はいったけど…

松田知性を独りで走らせたらあかんという話やね

酒井:え、じゃあこいつは何で「実在とは何か」に全部まとめようとしてるんですか?

うるさいんで無視します

松田:たださ、今はおれの話を聞いてもらったけど、別にそういうことではないと言えば、それはまあそうやと思うねん。

松田:つまりな、「禅」は絶対に説明的にはならないねん。イズムに堕することはないと。説明を尽くすずいぶん手前で当の本人に丸投げするっていうのが「禅」の方法論なわけ

松田:だっておれがこれだけペラペラ喋っても、「そうは言い得るかもしれないけど、でも…」みたいな疑問って最終的には残るやん。確かにおれが今言ったことには一定の説得力はあるかもしれんけど、それが排他性を持った唯一の説明として聞いた人の実体験にアプライされるかと言ったら、それはまた別の話やん

酒井:確かに。

松田そこはやっぱり当人の主体的な選択と実践が必要なわけで。だからそこで、禅は説明しないことを方法論として頑なに守るわけ。

酒井松田さんは今言葉を尽くしたじゃないですか。じゃあそれは禅的にはなしってことですか?

なしもりんごもないっていうのが禅です。あるいはA∧Āと言ってもよい

松田:まあ禅はそんなことしないんじゃない?

酒井:それは全部自分で気付きましょうって話ですか?

松田:うん。「自分なりの悟り見つけようね💫💞✨」って感じ

酒井:それを体験でもってっていうのがよく分かんなくて…松田さんは今、結構知性で理解してる感じあるじゃないですか。

松田:今の説明が?

酒井舐めすぎちゃう?

酒井:はい。悟ってる人達っていうのは、言葉を尽くそうとすれば今みたいに言えるもんなんですかね?

松田言えるんじゃない? 知らんけど。具体的に経験してることなんだから、何かしら言葉にすることはできるでしょうよ。

松田:ただやっぱり問題なのは知性が実態に先行するって話で、十分な体験があってそれを人に伝えるためにのみ言葉を行使するならともかく、具体的な体験もないままに知性を行使すると、どこまで連れて行かれるか分かったもんじゃないよね

酒井:なるほどな。

悟りなんてどうでもよくなったら悟り、これが今日の結論です

2020年2月29日
Starbucks 東京ミッドタウン店