中垣:松田がよく言ってる、「やりたいからやる」ではなくて「やっている限りにおいてやりたい」「やらないってことはやりたくないってことだ」みたいなんあるやん。
松田:あー、言うてるな。
中垣:なんとなく言いたいことは分かりつつ、まだいまいちしっくりこないなって思っててんけど、最近分かりつつあって、そこをうまく消化したい。
松田:はい。
中垣:「あれやりたい、これやりたい」って言っても、結局やってへんならそれはやりたくないってことやし、逆にやりたくないけどこういうことをしてるって言っても、それはやっている限りにおいてはやりたいんだっていう、そういうスタンスがあるねんけど、言葉尻だけ見るとあんまりしっくりこなくない?
西川:うんうん。
中垣:やりたいことがあるけどできないってさ、日常的には往々にしてある話やん。
松田:実感としては明確にそうやんな。
中垣:そこの実感とさっき言った理屈をどう接続すればいいんだろうって考えてて。
松田:あー、なるほどね。
中垣:それがこのあいだ見えそうになってんけど…
松田:「やりたいからやっているんではなく、やっている限りにおいてやりたいんだ」みたいにおれは言ってるけど、その元ネタというか、出所はサルトルやねん。ただおれはだいぶ自分の言葉で言っていて、もっと元ネタに忠実に言うなら「したいことをするのではなく、していることがしたいことだ」ってなると思うねんな。
中垣:あーはいはい。
西川:うんうん。
松田:でも、それでもまだ漠然としているというか、日常的な実感とはかけ離れてると思うねんけど、具体的な例としてサルトルの本に書かれていたことを挙げると、
松田:サルトルが学生から相談されてんねん。ほんでその学生は祖国への愛のために戦線に赴くか、母親への愛のために実家に残るか迷ってんねんな。祖国のために戦争に行くのはいかにも大きな愛の実践であるけれど、もしかしたら前線の手前の補給基地に配備されて、直接祖国に貢献することはないかもしれない。また実家の母親は自分以外の家族は無くしていて、自分がいなくなれば独りになってしまう。実家に残れば母親への愛は確実に全うすることができる。うーん、大きいが直接貢献できる見込みは薄い愛か、小さいがしかし確実に実践できる愛か…って言って。
J‐P・サルトル『実存主義とは何か』人文書院→
中垣:はいはい。
松田:で、サルトルは言うわけね。「愛しているからそうするのではなく、そうする限りにおいてまさに愛していると言えるんじゃね」って。それを聞いておれは、まあなるほどと思ったわけ。
松田:前行動的に判断があってそれに基づいて行動しているというよりかは、まさに行動している限りにおいてそう判断していると言えるんじゃないかって。これは心理学実験みたいな科学のお話としてではなく、ごく個人的な実感としてね。
例えば飲み会終わった後にラーメンを食べたとして、で翌日になって、「いやー、飲み会の後のラーメンってダメだと思ってるねんけどなー」って言ってたとしたらさ、そいつの「ダメだと思ってる」ってなんなんってならへん? つまり、それが全く現実世界に反映されないんであればさ、お前の頭の中で行われている価値判断なんてなんの意味があるんだって、すごい思うねん。
Source: commmon
西川:うんうん。
松田:より分かりやすく言うと、愛してるよって言いながらDVをする男がいたとして、それは愛しているとは言えないって話。
西川:うんうん。そう考えるとさ、さっき言ってた生きる意味って話だと、ともかく私は今生きているじゃないですか。そっちが先にきていると考えると、何かしら生きたいと思っているからこそ今生きているし、今生きているっていうことが既に、言語化はできないけれど自分の中に生きる意味があるってことなのかなって。
そういうことでいいんじゃね。本当に死にたけりゃソッコー自殺してるでしょ
c 生きるの大変だし、いっそ自殺しちゃう?→
松田:うんうん。
西川:頭と身体と心って話になると、頭で考えて行動するって考えがちだけど、それとは別に心と身体の部分で行動していることもあって、そこから頭で解釈しているっていうのが実存主義なのかなって。
松田:うん、まあそれが実存主義かと言われると全然違うねんけど、西川の言ったことはまあその通りやと思うよ。
実存主義に興味があるのなら下記の三冊を読んでみてください。
最初の2冊は小説です。実存主義はそもそもイズムとしては脆弱なところがありながら、個人が主体的に実践する行動指針としては強力であるという性格があるため、それがなんなのかを説明するにあたっては理論的な解説よりも、小説の登場人物の実際の行動を通じての説明の方が分かりやすいと思います。
3冊目は我々の意識がいかに本質を認識しているかについて、アラブ世界から極東までの様々な考え方を展開している本です。実存主義という文脈で出てくることはあまりない本だとは思いますが、本質によって喚起される以前の私という存在に迫ることを課題とする実存主義を、少なからず知性的に理解する上では、非常に示唆的なのではないでしょうか。
J‐P・サルトル『嘔吐』人文書院→
カミュ『異邦人』新潮文庫→
井筒俊彦『意識と本質』岩波文庫→
中垣:今の聞いてても結構そうやなって思ってんけど…つまり「したいからする」って言うときの「したい」って気持ちがめちゃくちゃ厄介やと思ってんねん。
松田:はいはい。
中垣:この「したい」っていうのは非常に複層的やねん。前になつきと話しとってんけど、そのときになつきが「クリエイションがしたい」とか言い出して。だから化粧水かなんか…そういう美容系のなんかを作ってる人を知ったらしいねんけど、自分も作ってみようかなって。
松田:うんうん。
中垣:「作ればいいんじゃない」って言って聞いててんけど、そこで彼が言っていた作りたいっていうのがよく分からなくてさ。
その場にいないのにディスられて気の毒です
中垣:例えばおれは学生のときに「服作りたい」「音楽作りたい」って言ってたけど、それって結局は洋服なり音楽なりを作って見えるものを見たいというか、そういうポジションに行きたいというか、つまりそういうことやねん。
松田:うんうん。
中垣:「洋服を作った人」「音楽を作った人」になりたい、やってんな。その方が欲望としては正確やねん。
松田:「人生経験したことスタンプラリー」みたいなね。
中垣:そうそう、そういうのに近くて。あるいはもっとチャチな話で「ミュージシャンって呼ばれたい」とか、そういうのの方が大きくて。
中垣:例えば「絵を描きたい」って話で言うと、そもそも絵を描きたいやつって描いてんの。おれも昔描きたくて描いてたから分かるけど、それが描きたいってことなの。家に帰ってもすぐ描きたいねん、暇になったらすぐ描いててん。それが描きたいってことやねん。
松田:そうそう、ほーんまそう。
中垣:けど今のおれが絵を描きたいって言ったら別のことを指してて、それは絵を描いて「アーティスト」になりたいってことやねん。あわよくば売れて「中垣さん」って呼ばれたいとか。
松田:はいはい。
中垣:要は欲望っていうのはすごく複層的になってて、自分がこれをしたいって言ってもそれは実際の欲望を正確に描写できていなくて、そこで自分の言語能力の低さとか構造化する能力の低さに悩まされてループに陥っているっていうのが、「やりたいのにできない」っていうことの正体だとおれは思っていて。
まさに
西川:うんうん。
中垣:だから「したい」っていうのは実際の「したい」じゃないねん。そこで言うところの「したい」っていうのは松田がさっき言っていた「したい」とは別物なのね。そこでピンときて。
松田:なるほど。
中垣:で、さっき西川が言っていたことだけど、頭って賢いからどんどん先回りしちゃうやんか。例えば音楽を作りたいと思っている今がある。これは実態としては、さっき言ったように実はミュージシャンになりたいってことなのかもしれないけど、でもそのきっかけには音楽をちょっとやってみて楽しかったとか、実際に作っている人を見て自分もやってみたいって思った、とかがあると思うねん。
中垣:それで、これが子供の頃なら実際にすぐ作ってみるねん。
西川:うんうん。
中垣:子供なら「作ろう」って言って作るねんけど、なまじ賢いと先が見えちゃうわけよね。
松田:はいはい。
中垣:これをやるってことは次はこうなって、でもこういう問題が出てきて、これも必要になって…って考え始めて、そこで今ここにある心と身体とのギャップがどんどん生まれてきて、でも頭は当初の「したい」だけを認識しているから、「したい」が頭の中でどんどん広がっていくねん。
松田:そうね。
中垣:それでその大きくなった「したい」だけを見て、「したいけどできない」って言ってるねん。
松田:当初のプリミティブな「したい」が、いつの間にかすげえでかいもんを抱えちゃってんねんな。でもそもそもは全然そういう話じゃなくて、ちょっと聞いたフレーズがカッコよくてそれを再生産できればいい、くらいの気持ちやったのに。
中垣:そうそう、ほんまにそう。そのフレーズが気に入ったんなら、すぐにやってみればいいねん。あと5分だけ没頭すれば、それはもうしたいことをしたって言っていいねん。
まず、どんなことでもいいからちょっとでも情熱を感じること、惹かれそうなことを無条件にやってみるしかない。情熱から生きがいがわき起こってくるんだ。情熱というものは、”何を”なんて条件つきで出てくるもんじゃない、無条件なんだ。
何かすごい決定的なことをやらなきゃ、なんて思わないで、そんなに力まずに、チッポケなことでもいいから、心の動く方向にまっすぐに行くのだ。失敗してもいいから。
Source: 岡本太郎『自分の中に毒を持て』青春文庫
岡本太郎『自分の中に毒を持て』青春文庫→
松田:そうやね。
中垣:でも頭だけが先走ってると、曲を一曲作ってリリースくらいまでしないとそれはしたいことをしたって言えないって思っちゃうねんけど、別にちょっとやってみて、それで飽きたら辞めたらええねん。それがまさに「している限りにおいてしたい」ってことだし、していないならそれはしたくないってことやねん。
松田:三日坊主で全然いいってことやんな。
中垣:そうやねん。そういう前提に立った上でそれでもミュージシャンになりたいのなら、それに向けて強かに準備をすればいいし、あるいは今日5分しか取り組めなかったことを明日は10分取り組むでもいいし、そういう努力をすればいいねん。それはそれで素敵なことやねん。
西川:なるほどー。
松田:ええな、結構しっくりきた。
中垣:あれにも似てるね、前に言ってた批評家とプレイヤーの話。
c 若いうちしかできない→
松田:あー、そうねそうね。
2020年2月28日
Aux Bacchanales 銀座