松田:インテレクチュアルとフィジカルの乖離については今まで何回も話してるけど、やはりなお、JUST DO ITのメンタリティというか、とにかく手を動かしてみる、とにかく実行してみるというのは大事だなと思っていて。
松田:この一週間それについて考えていて思いついたのが、逆パターン、つまりおれらの真逆の悩みを持つ人達やねん。
中垣:どういうこと?
松田:つまり体育会系の脳筋で、「言われたことはなんでもやりますんで、まじでなんでも言ってください。よろしくお願いします!!」みたいなやつ。こういうやつって結構めんどくさいやん、何やったらええか自分で考えられるくらいには賢くなれよって思うし。でもそれって裏返したら、インテレクチュアルの方が過度に発達しちゃっている頭でっかちピープルのことで、そっちも大概ひどいよねって話。
中垣:あ、そういうことね笑
松田:そういうヤバさがおれらにもあるで、っていうことを考えていた。
きむ:なんとなく、分かる。
中垣:だって実際あんまいないもん、前からずっと思ってたけど。カフェのテラスでこんなダベってるやつ。
松田:そうやんな笑
中垣:たぶん変というか、そういうヤバさがあるんやと思う。
松田:そう、とにかく実行あるのみで空回りし続けてるやつみたいなヤバさがある。
中垣:それに続ける話かはよく分からんねんけどさ、山原と住んでたとき、あいつがなんかの哲学の本読んでて、その本の中で著者がすごい偉そうに世界のことのたまっててんけど、この本誰も知らんくない?とか思って。
松田:はいはい。
中垣:例えばその著者が、自分には世界が分かっていてそれを記述することが自分の使命だと、それが自分にとってすごく大事なことだというスタンスなら全然いいやん。でもその本はそういう感じじゃなくて、なんて言うか…のたまってたのね。「こうだ!」みたいな。
きむ:ああなるほど。
中垣:でもおれはその本をそのとき初めて知ったし、周りは誰も知らんし、なんの実効性もないというか…要はリアリティがないわけ。
松田:独善的なというよりは、世界にアプライされるべき原理についてのたまいます、みたいなスタンスやったわけやんな。
中垣:あーそうそう。どっかのインテリがわあわあ言ってて、おれがたまたまそれを見つけたみたいな、そういう感じやってん。なんかガン萎えというか、「おお…」ってなって。
松田:それほんま思うわ。前にむっちゃ本読んでた時期に、「そんなに本読むんだったら自分で書いてみたらいいじゃん」って言うやつがちょろちょろおってん。
中垣:うんうん。
松田:それが意味分からんくて。おれが本書いてもおまえは絶対読まへんやんって。おれの書いた本が岩波文庫に収録されたと仮定してもなお、そいつは絶対読まへん 。
中垣:読まへん。そうやな笑
きむ:笑
松田:要はなんか、そんなことしても何にもならんと言うか、実効性がないと言うか。だからそれはやっぱり違うなと思って。
中垣:しかもこの話ってさ、上手いこと伝えるのがすごい難しくて。選挙に行ったところでおれの一票なんて…みたいな話とはまたちょっと毛色が違うねん。なんて言えばええんやろうな…
きむ:承認の有無じゃないの?
中垣:もちろんそうやねんけど…おれはどこに違和感があるんやろうな。リアルワールドに影響を与え得る可能性が著しく低いくせに文句を言っていることよりかは、どっちかと言うと、 おまえそれちゃんと世界見えてんの?みたいな。それこそインテレクチュアルとフィジカルの乖離って話で、彼が言っていること…というか思っていることと、実際の行動との乖離に違和感があって…
きむ:うんうん。
中垣:彼は世界を変えるって言ってる、あるいはこの世界は違うと言ってるねん。変わるべきだと言ってるねん。口では言ってるねんけど、でも彼のとっている行動は世界を変えることとはなんの関係もない。であったりとか、彼は世界を理解したと言ってんのに、彼が書いた本は誰にも読まれていなくて、それは彼の意図と違くて、彼はその点においては世界を何も理解できていないねん。
松田:その点においてはそうやな。確かに確かに。
きむ:説得力を失ってしまうというか…
中垣:説得力というかね、おれはむしろ書いた人の目線で見たときにすごい違和感がある。そんなやつの意見を聞こうとは思わないみたいな第三者的な意見というよりは、なんやろな、 彼が理解できたと思っている世界はなんなんだっていう。
松田:うん。彼が理解したと思っている世界は全体性が十分じゃないよな。なんか欠けているというか。
きむ:欠けていることが、彼の本が伝播されていないことによって表わされている。
中垣:あー、まあそうやね。すごい表現がむずいな。話の旨味的な部分を伝えるのがすごいむずい。
松田:彼は世界を理解したみたいなスタンスでおるのに、その表現の仕方からうかがえるに、彼は実際には全然理解できていなくて…
中垣:うん、そうそう。すごいザルい説明やけどさ、何かについてうんうん考えてるとさ、何かについて考えてたけど、「あれ、これってこっちのここじゃね」って思うときがあるわけやん。こっちよりこっちかもって。それを考えてると次またこっちが出てきて、あれこっちかもって思うわけやん。どんどん構造が多重化というか多層化していって、自分がバコンバコンって抜けていく感覚があるわけやん。
中垣:それこそ思想書とか読んでると先人はそこがすごくて。ほんでおれが読んだ本もそれなりにすごい人の本やから、かなり抜けきってんねん。抜けきって抜けきって、最後にインテレクチュアルの中では抜けきってんけど、はい、フィジカルありましたー 、みたいな。そういう感じ。なんか、おまえ抜けきっててすごいねんけど、 この本を誰も読んでないってことはその限りにおいてまだ分かっていないことがあるし、たぶんおまえはそれは達成し得なかったんだろうな、みたいな。
松田:なんかあれやな、コミュ障過ぎて女性に声かけられへんようなやつが四十八手を知っとってもな…って感じあるな。
中垣:あーなんか確かにそうやな。
きむ:だとするとさ、逆にどうすれば彼の描いた世界は完全なまま保たれたんだろう。
中垣:あー、 完全なまま彼にとっては保たれた んじゃない?
松田:彼は理論の完全性とか、自分の見つけたものの神秘性、美しさみたいなものを、そこで完成を見たからこそ一旦放棄して、なんらかの形でフィジカルの世界に下ろしてくることが必要だったんじゃないかと、個人的には思うかな。
中垣:あーそうやね。
きむ:アイドルもうんこ出すみたいな感覚でしょ。いやちょっと違うな。
中垣:例えばさ、インテレクチュアルとフィジカルということでは必ずしもないかもしれんけどさ、世の中一般に世界を理解している人っていうのを思い浮かべると、知性で理解している人を思い浮かべるわけやん。フィジカルでもって理解している人っていうとあまりイメージ浮かばへんわけやん。でもコミュ力の鬼、ほんまに場も回せるし人のことも不快にさせないし、人付き合いもめっちゃできてそれだけでのし上がってきた人、それで金稼いでるみたいなやつっておりそうやん。そいつはそいつで世界を理解しているわけやん。
松田:間違いない。そういう話やんな。
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2019年9月20日
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