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三菱地所のドリーム、丸の内

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白濱昨日丸の内で女の子とデートしてて、まあ普通のお店に入ったんだけど、そのときに周りの人がすごい表層的だなと感じたんだよね。

松田:うん。

白濱:何がそうだったかって…まず具体的な事象としてあったのが、おじさんとその会社の後輩の女の子みたいな二人がいて、「うちの会社は一橋出身のやつが少ないんだよね」「学閥みたいなのはないけどまあ仲は良いよね」みたいなことを、結構な大声で話してて。

松田:笑

白濱ほんとそんなのばっかだったんだよ。あとは「社会人2~3年目のイケてるデートってこういうもんだよね」っていうデータをどこからか引っ張ってきた男が、それを実践しようと頑張ってる感じのとか。

この本を持ってる僕には何も言えません

ホイチョイ・プロダクションズ(2012)『新東京いい店やれる店』小学館

白濱:そういうイキりマウントおじさんとか、受け売りで見目形を調えたやつとかがたくさんいて。そこで、今まで丸の内はビジネス街でありつつも明治からの歴史もあり…っていう、落ち着いた大人の街みたいな認識でいたんだけど、案外そうでもないのかなと思い始めていて

中垣:なんか一年前にも「丸の内の男がキモい」っていう話をしたんですけど、それにしろ今の白濱さんの話にしろ、そもそも僕にはあんまりしっくりきていなくて。

c 「東京カレンダー」な街

白濱:はいはい。

中垣僕にとって丸の内はすごい好きな街なんですよ。そこにいる人がどうとかではなく、街づくりの歴史が胸アツ過ぎて…

白濱:はいはい。

中垣あれは三菱地所のドリームが詰まった街なんですよ。大丸有って言って、大手町・丸の内・有楽町は基本的に三菱地所の持ち物なんですね。

三菱地所 丸の内
Image: 三菱地所

モノポリーじゃん

手土産デリバリーサービス「TANOMO ギフト」を導入 – 三菱地所

松田:うんうん。

中垣:もともとこの一帯って、結構偉め、メインどころの大名の武家屋敷があったエリアなんですけど、それが明治維新のタイミングで取り壊されて官有地になったんです。

白濱:うんうん。

中垣:それで、いったんは本当に何もないただの原っぱになったんです。で、これを払い下げようってなって、それを買ったのが岩崎弥太郎の息子の岩崎弥之助とかで。

岩崎弥之助 – Wikipedia

中垣:でも当時は「三菱ヶ原」ってバカにされるくらい、本当にどうしようもない土地だと思われていて…そこをなんとか日本一にしてやろうということで三菱の街づくりが始まったんですね。

白濱:はいはい。

中垣:そこでまずお手本にしたのがロンドンで、一番最初に建てたのが三菱一号館、今は一号館美術館の入ってる丸の内パークビルディングのところなんです。そこから始まって二号館、三号館っていうふうに建てていって。

三菱一号館美術館
Image: 三菱一号館美術館

三菱一号館美術館について – 三菱一号館美術館

三菱一号館(みつびしいちごうかん)とは、1894年(明治27年)、現在の東京都千代田区丸の内に建設された洋風事務所建築で、煉瓦造の建物内に銀行や商社、郵便局が入居していた。1968年(昭和43年)老朽化のため三菱地所が解体したが、2009年(平成21年)同社により美術館として復元された。

Source: Wikipedia

三菱一号館 – Wikipedia

松田:はいはい。

中垣:それで結構綺麗な街並みになったものだから「一丁倫敦(ロンドン)」って言われたりして。だから街としては結構新しいんです、全部三菱が作ったものなんですよ

その後発展するにしたがって「一丁紐育(ニューヨーク)」と呼ばれるようにもなった

中垣:ここで墓石ビルの話をしておきたいんですけど…この辺りのビルは丸ビルも新丸ビルもKITTEも、5階くらいのところで一度段差があるんです

丸の内 100尺規制
Image: 町のかたち 村のかたち

丸ビル・新丸ビル・KITTE・東京海上日動ビルが全部写っているこの写真、これを撮って掲載している下のサイトはただものではない

丸の内 いまは昔の美観騒動 – 町のかたち 村のかたち

白濱:あー、はいはい。

中垣:あれはなんでかって、5階あたりのあの高さはおおよそ31メートル、昔の百尺規制の上限なんですよ

百尺規制により建物は9階建て程度でしか建てられなかったがその分、都市部では同じ高さに揃ったオフィス街が各所に形成された。特に規制施行直後の1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災によって瓦礫の山となった東京府東京市(現・東京都区部)の都心では帝都復興院の指導の下、多くの民間のビルが規制限界の高さで建設され100尺のビルが連続するスカイラインを形成した。

Source: Wikipedia

百尺規制 日本の超高層建築物 – Wikipedia

中垣:それが戦後の高度経済成長期に、地価に見合ったもっと高いビルを建てたいってなって、1964年の東京オリンピック前の建設ラッシュに合わせて百尺の絶対規制はなくなったんですね。それで日本最初の超高層ビルと言われている霞が関ビルディングが建設されたりして。

松田:うんうん。

霞が関ビルディング超好き。ル・コルビュジエ『伽藍が白かったとき』で描写されているような、より先進的で大きな達成への熱意みたいなのが感じられるもんね

霞が関ビルディング – Wikipedia

ル・コルビュジエ(2007)『伽藍が白かったとき』岩波文庫

中垣:その中でも象徴的なのが東京海上日動ビルっていう、皇居のすぐ前の100メートルくらいの高さのビルなんですね。これは建設当時、皇居を見下ろすようで不敬だみたいな話も出たくらいで…

周辺に低容積のビルを持っている三菱もこの計画には反対したっていう…

東京海上日動ビルディング – Wikipedia

白濱:へー。

中垣:あるいはそうやっていろんな高さのビルが建つと、もともと百尺規制で高さが揃っていた綺麗な街並みというのも失われてしまうとか、そういう諸々の問題をなんとかするために「墓石ビル」なんですね。あのあたりで大きなビルを建てるならあの高さで区切りをつけましょうっていうガイドラインがあるはずで…

既に、当地区において定着しつつある概ね100m程度の高さも尊重しながら、一定のスカイラインの統一性に配慮し、概ね150m程度の高さまでを可能とする。
 大手町、丸の内、八重洲、有楽町の各拠点においては、その拠点性や街並みの多様性の表象として、当地区全体のスカイラインとの調和に配慮しながら、概ね200m程度の高さまでを可能とする。
 また、丸の内、有楽町の街並みを形成する軸(主要な通り)については、それらの特性を尊重しつつも、歴史的な31m(百尺)のスカイラインを表情線等として今後とも継承していく。

Source: 東京大学工学部都市工学科 都市デザイン研究室

1998年1月以降の動き(1998.1~) 都心の景観を考える – 東京大学工学部都市工学科 都市デザイン研究室

丸ビル建て替えに始まる「丸の内再構築」では、「31メートルの建物が並ぶ昔の景観を残す」ことを意識している。そのため、丸の内の新しい高層ビルは、低層部と高層部が分かれているものが多い。31メートル付近を境目に、高層棟に切り替わったり、デザインが変わったりしている。31メートルのラインを強調することで統一感を出しているのだ。このような方針は「大手町・丸の内・有楽町地区まちづくりガイドライン」にも記載されている。

Source: ITmedia ビジネス

「丸ビル」の17年 なぜ“オフィス街・丸の内”は変わったのか – ITmedia ビジネス

白濱:はいはい。

中垣:だからあの辺りで新しくできるビルにはほぼあの段差がついていて、最近で言うと日比谷のミッドタウンのあれもそういうことなんじゃないかな

東京ミッドタウン日比谷
Image: 三井不動産

「(仮称)新日比谷プロジェクト」の名称が「東京ミッドタウン日比谷」に決定 – 三井不動産

松田:あー、なるほどね。

中垣:…という話があって。で、もともとはただのオフィス街だった丸の内が、なんで今みたいに仲通りにブティックがある表参道みたいな雰囲気の街になったかというと、これは2000年以降に三菱地所が意図してやったことで、詳しくは知らないですけどめちゃめちゃ頑張ったみたいで一冊の本になったくらいなんですよ。興味があったらぜひ読んでほしいんですけど…

NPO法人大丸有エリアマネジメント協会 丸の内仲通り本編集室(2019)『丸の内仲通り “憧れの街”を支えるストリートの秘密』幻冬社

白濱:読む読む。

中垣:だからあそこがショッピングエリアになったのは本当に最近の話なんですね。以上のところが丸の内の簡単な説明ですが、個人的にはいろいろと詰まっている感じが好きですね。シンプルに綺麗やし、歩行者天国をやってたり、まあ気分のいい街です。

松田:ね、気分いいよね。

中垣:先週の日曜日にめっちゃ自転車に乗りたくなって赤いシェアサイクルで走っててんけど、途中で仲通りを通ったらめちゃめちゃ人がいてみんな楽しそうで、やっぱりいいなって

松田:はいはい。

中垣:これが表参道やと、あそこは真ん中に大きい車道があるから、いまいち歩行者に優しい街にはなっていないなと思うねん

白濱:うんうん。

松田:そうね、表参道って端から端に歩いて終わりって感じあるもんな。あっちこっち回遊する感じはない。

中垣:そうそう。あと仲通りでは、周りが全部三菱地所の土地で利害関係がシンプルやからネゴりやすいのか、セグウェイを走らせるみたいな社会実験的なこともいろいろとやっていて。

三菱地所、丸の内にロボットやセグウェイなど続々投入 – 日本経済新聞

白濱:へー。

中垣:街づくりの主題のひとつとして、公共エリアをどう自由に使うか…例えば道に迫り出してテーブルと椅子を設置してみんなが使えるようにするとか、歩行者空間をいかに豊かにするかっていうのがあるんですけど、丸の内はそこにも積極的で、それも好きなところですね

2020年11月21日
Aux Bacchanales 銀座

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大手町 丸の内 有楽町
HeaderImage: 三菱地所 オフィス情報

皇居外苑と東京駅に挟まれ、隣接する大手町と共にオフィス街として発展している丸の内。明治23年に三菱が国から払い下げを受けた広大な草地から発展してきた経緯から、三菱グループ各社の本社が集中している。2002年の丸ビルの開業以降は再開発が進み、飲食店や有名ブランド店舗の誘致によりショッピングエリアとして休日も賑わうようになっている。

丸の内二重橋ビル – 三菱地所 オフィス情報