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AI時代の働き方とプライバシー

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中垣:WEEKLY OCHIAIのシーズン1でVRについての回があってんけど、今後はVRによって、フィジカルには存在していないものを知覚しながら、その存在を前提として生活するのがデフォルトになる世代が出てくるだろうと。

WEEKLY OCHIAI シーズン1 VR・AR・MR、仮想現実が変える未来 – NewsPicks

松田:はいはい。

中垣:だからフィジカルな存在がなくてもいいもの、例えばテレビとか照明とか、あるいは純装飾的な絵画とか…要は触って確かめる必要が無いもの、それはVR化するんじゃないかって言っててん。

ちなみに落合陽一的には Virtual の対義語は Material がしっくりくるみたいですね

松田:うんうん。純粋に視覚的にのみ経験されるものはそうなる気がするな。

中垣:で、そういう世代観に対する質問として「そのときプライバシーってどうなるんですか」みたいな話が出たのね。

松田:はいはい。

中垣:まあこれVRとはあんま関係無い気もするねんけど笑…そこで「プライバシーという考え方が変わるでしょう」って話になってん。

松田:はい。

中垣:そこではプライバシーそのものがシークレットタブみたいな感じになるんじゃないか…つまり、シークレットタブをエッチな動画を観るために使っているように、プライベートそのものがいかがわしいことに限られるようになるんじゃないか、例えば現金決済も資金洗浄的なことを疑われるものになるだろうし…って。

“Having two identities for yourself is an example of a lack of integrity.”

– Mark Zuckerberg

Source: goodreads

お前は極端だぞ

Quote by Mark Zuckerberg – goodread

みなと:あー…

中垣:で、データっていうのは基本的にはパブリックなものになるだろうと。そこでちょっと考えてんけど、今YouTuberってめちゃめちゃおって、結構みんな体張ってるやん。

松田:はいはい。

中垣:それを見て「パンピーが私生活をそこまで公開するか?」みたいなことを思っててんけど、それもプライバシーの考え方が変わりつつあるからこそのものなのかなって。

松田:あー。

中垣:ついこのあいだまでのネットの世界観って、自分の情報は出さずに陰から悪口を言うみたいな感じやったのに、YouTuberってみんな顔を出してるし別にプロじゃない人もいるし…

みなと:なるほどね。

中垣:まあもっと昔の話をすると、隣近所でお醤油を融通し合うみたいな感じやったわけで、そういう意味で逆にプライバシーはなかったわけやん。子供だって地域全体で育てるみたいな感じで。だからここ二、三十年の情報化社会におけるプライバシーみたいな考え方が、別に人間にとって本質的な最適解やったわけではないという話もあるんだろうけど

松田:うーん…

中垣:いいよ別に、そこまで何か言いたいことがある話では決してない笑

松田:でもさ、そもそもなんでプライバシーっていう概念が存在し得るかって、生々しい一人の人間である私と、その社会的な反映としてのパブリックな私っていうロールの使い分けが必要やからやん

法律上の権利としてプライバシーが理論化された起源は、1890年アメリカの弁護士のSamuel D. WarrenとLouis_Brandeisが「プライバシーの権利」(The Right to Privacy)という論文がハーバード・ロー・レビューに掲載されたところに遡る。彼らはプライバシーを「一人でいさせてもらう権利」(the right to be let alone)と定義つけた。「一人でいさせてもらう」の解釈の一つとして、隔絶されることを望めばそれを選べる、というものがあり、自分の家のような私的空間では他人から調べられたり詮索されたりする事から逃れられる事であると解釈できる。

Source: Wikipedia

プライバシー – Wikipedia

中垣:うんうん。

松田:つまり、まあお醤油融通社会がそれなのかは知らんが、私生活と仕事が不可分に一体化しているような社会ではさほど問題にならなくても、官僚制社会のもとで非人格的に仕事をするようになってこそプライバシーというものが問題になるわけやん

中垣:そうやんな。

松田:平日の5日間は社会の歯車をやって、帰宅後と土日はチルかますみたいな、そういう世界でこそのプライバシーやと思うねん。会社では真面目に過不足なく課長をやるから、休みの日の女装趣味はほっといてくれと

松田:でも例えば逆に、個々人の生産に対して社会全体が高度に最適化されるようになれば、つまり「A社の営業の〇〇」にならんでも自分のした仕事はそれがなんであれ社会に最適に組み込まれるとなると、役割とそれをプレイする自分っていう二項対立ってなくなりそうじゃない?

中垣:うんうん。

松田:で、YouTuberって既にそういう感じあるやん。

中垣:はいはい、確かにそれはそうやね。

松田:彼らは新しい刺激のある動画を作りさえすれば、あとはプラットフォームがそれを収益化してくれるわけやん。自分の動画はどういうユーザーにレコメンドされるべきで、その動画にどういう広告を貼るべきなのか、そういうことは考えんでもええと

言い過ぎました、よく考えたらYouTubeのチャンネルのダッシュボード見たことないです

松田:それってもっとも単純化すると、バイタリティー溢れる日々を送るだけで、Googleがそれを経済に組み込んでくれてると言えるわけ

中垣:そうやね。

松田:で、そういう人にとってプライバシーがあまり重要でない感じっていうのはまあ分からんではない。だからそういうエンドツーエンドな働き方がスタンダードになると、まあプライバシーはなくなると言っても…

中垣:まあそういう見立ても立てられなくはない、というか。

みなと:なるほどね。

中垣:でも確かに、官僚制って要は仕事の標準化なわけやん。一人一人を交換可能なパーツとして、それぞれが100%パフォームしなくても全体として80%パフォームするように教育をして…みたいな。それと比べると、YouTuberって確かにすごく特殊な仕事ではあるよね。

松田:そうそう。まあもちろんね、彼らにだってターゲティングもPDCAもあって、本当に好きなことを好きなようにやればええわけでは当然ないよ。ただ一般的なサラリーマンと比べたとき、多少なりともその程度は強いし、今後あらゆる仕事がそういう性格を帯びてくるのも間違いないと思うねん

みなと:うんうん。

松田:だからかは知らんけど、Youtuberって社会不適合な感じのあるやつ多い印象あるし。

中垣:まあそうやね。

はい偏見、君ら他人のこと言えた立場じゃないよ

松田:そういう世界観って、それこそ『デジタルネイチャー』で述べられているように、華厳哲学の世界観の相似できるような、計算機群の不可知な過程によって高度に最適化された世界やと思うねん

だからこそ、先に述べたあらゆるデータをパブリックなものとして提供することが可能になるのです。

落合陽一(2018)『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』PLANETS
Image: Amazon.co.jp

デジタルネイチャーとは、生物が生み出した量子化という叡智を計算機的テクノロジーによって再構築することで、現存する自然を更新し、実装することだ。そして同時に、<近代的人間存在>を脱構築した上で、計算機と非計算機に不可分な環境を構成し、計数的な自然を構築することで、<近代>を乗り越え、言語と現象、アナログとデジタル、主観と客観、風景と景観の二項対立を円環的に超越するための思想だ。

Source: 落合陽一(2018)『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』PLANETS

落合陽一(2018)『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』PLANETS

井筒俊彦(2019)『コスモスとアンチコスモス 東洋哲学のために』岩波文庫
Image: Amazon.co.jp

井筒俊彦はもう本当に素晴らしい、超賢い

井筒俊彦(2019)『コスモスとアンチコスモス 東洋哲学のために』岩波文庫

中垣:はいはい。

松田:これはほんまにざっくりとした話やねんけど、AIってどういうことかって、当然インプットに対してアウトプットがあるわけやん。ゴッホの作風を食わせたらゴッホの作風がアウトプットされると。

みなと:うんうん。

松田:そういうふうにエンドとエンドには具体的で理解可能なものがあるわけだけれど、その中間の処理の過程は人間には理解できないわけ。ゴッホの作風をAIが学習するそのやり方は、ゴッホが使った絵の具のテクスチャとか筆の運び方を理解してそれを再現するみたいな感じじゃないねん。おれらの感覚では全然意味分からん理解の仕方をしているねん

涌井良幸(2017)『Excelでわかるディープラーニング超入門』技術評論社
Image: Amazon.co.jp

涌井良幸(2017)『Excelでわかるディープラーニング超入門』技術評論社

みなと:あー。

松田:そういうエンドツーエンド感ってYouTuberにも少なからずあると思うのね。でも普通の働き方ってそうではないやん。社会がどういうふうな仕組みになっているかを理解して、それを前提に自身をパーツとしてフィットするように最適化せなあかん

僕は無理でした

中垣:そうやね。

松田:でもそれがなくなると…やっぱプライバシーもクソもなくない?

中垣:うんうん。プライバシーって社会の標準化の裏側でしかないもんな。

みなと:確かにね。

松田:さっきの例で言うと「営業の〇〇さん」が実はSNSでこう言ってるとか、そんなんどうでもよくなる…というか、「営業の〇〇さん」っていう人格がなくなるよね

みなと:あー、そうだね。

中垣:ここでちょっと思うねんけど、いわゆる最適化は機械に任せられるようになったとき、人間に求められる役割ってまさに人間的なカオスさだというか…つまり、YouTubeに出てくるアンケートとかって将来の仕事に近いんかなと思って

松田:うん、そうやんな。

中垣:あれは機械に答えさせたら意味がないわけやん。

みなと:そうだね、データの大本は人間じゃないとね

中垣:そう、そこは人間のカオスさじゃないといけなくて、そのために我々はあれをしてるわけやん。

みなと:なるほどね笑

中垣:だからあれはすごい未来的なことやと思うねん。それこそWEEKLY OCHIAIで出た話で、未来の生き方はBI(ベーシックインカム)+AIと、VC(ベンチャーキャピタル)+AIのどちらかに分かれるって言うねん。要はプラットフォームを作る側というか、AIという資源のもと全く新規的なものを生み出す側と、それによって生み出されたすごく豊かなサービス群を享受する側に分かれると。

松田:それ『デジタルネイチャー』でも言うてたわ。

デジタルネイチャーは、<近代以前>の多様性が、<近代以降>の効率性や合理性を保ったまま、コンピュータの支援によって実現される世界だ。そこでの人々の生き方は、、ベーシックインカム(BI)的か、あるいはベンチャーキャピタル(VC)的かに分かれるだろう。つまり、AIによる補完(多様化オートメーション)をはじめとするテクノロジーの発展で生産力が飛躍的に増大した結果、多くの社会で何らかの形でのBIもしくはそれに近しい資本の再分配か金融商品の分配、問題解決に際しての資本へのアクセス性の簡略化が実現するということだ。そこでは高度なインフラを伴う社会維持システムに組み込まれた人間は機械の指示のもと簡単かつ少時間の労働を営みながらBI的に生活することが可能となる。対して既存のフレームワークの外側を目指す人間は計算機による省人化・効率化や前述の人と機械のハイブリッドシステムを使用して次のイノベーションを起こし、エコシステムのカンフル剤となり続ける。後者をここではVC的なライフスタイルと定義している。

Source: 落合陽一(2018)『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』PLANETS

中垣:で、BI型の人達は毎日2〜3時間アンケートに答えることになると思うっていうのがおれの説。それで試されてるのは人間的なカオスさやねん、「これは何に見えますか」「どちらがよりかっこいいですか」とかね。それだけで美味しいご飯とおもしろいコンテンツを観られると。

みなと:はいはい笑

松田:いやー、でもそうやと思うな。ほんでそれらを資源として次々に投企をしていく人達がもう片側にいると

人間はまず先に実存し、したがって、自分の本質というのはそのあとで、自分自身でつくるものだ、というのがサルトルの考え方です。「人間はみずからつくるところのもの以外の何ものでもない」、これが「実存主義の第一原理」です。

そしてそこから、みずから主体的に生きるという「主体性」の概念が出てきます。みずからをつくるということは、未来に向かってみずからを投げ出すこと、すなわち、みずからかくあろうと「投企」することだ、と。

この耳慣れない「投企」という概念は、フランス語の「プロジェ」(projet)です。普通は「計画」という意味ですが、「前へ(プロ)/投げる(ジェ)」というニュアンスがわかるように、哲学用語としてそう訳されているのです。

「主体性」や「投企」という概念、そこから何かを「選択」する「自由」という概念、あるいは自分で選ぶということに伴う「責任」、そのことへの「不安」、また自分ひとりで決めることの「孤独」と、一連の概念がずっとつながって、そこに実存主義という考え方の基本的図式が浮かび上がってきます。

Source: NHKテキストビュー

『実存主義とは何か』とは何か – NHKテキストビュー

中垣:だから…これはひとつの例やけど、将来の仕事っていうのはドラマを観て感想を言うことやねん。Netflixレベルの普通におもしろいドラマを観て、観たら絶対にコメントせんとあかんねん。

みなと:笑

中垣:「悲しい」とか「ここがどうだ」とか。で、その感想をAIが集計して「人間はこういうのを観て悲しいと思うんだね」って判断して、それが次の生産に反映されていくねん。

全部たぶんです

2020年12月11日
Aux Bacchanales 紀尾井町

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