みなと:
松田:うんうん。
松田:もちろん…まあここで悟りって言っちゃうと仏教っぽくなっちゃうねんけど、実在に対する問い、私と世界の関係性をめぐる究極の問いについて、その先に見るものは、何がそれだと簡潔に言い表すことはできないんだけど、しかし一度それを見た以上、それはそれ以外ではあり得ない、そういうようなものやと思うねんな。
みなと:うんうん。
松田:見たら明らかに分かるように、それはそれで、それ以外ではあり得ないと。だから、それをなんとなくメイクセンスするなんてあり得ないわけ。少しでも疑念があれば、それは答えではないねん。
Source: commmon
みなと:で、それっぽいものについてなんだけど…まあ共感なんてしてもしょうがないんだけど、でもそれは本当にそうだなと思って。
共感なんてしてもしょうがない、強者のポリシー過ぎてわらう
松田:うん。
みなと:そこで言うそれっぽいことってさ、長く生きていれば生きているほど、そういうことを感じる瞬間というか、そういう考えに至る瞬間ってあるような気がするんだよね。
松田:あー、はいはい。
みなと:なんて言うのかな…
松田:うんうん。
みなと:言語的な追求をしようと思っていなかったとしても、結果的に彼の生活の中でそれに近いものを垣間見る瞬間はあるというかね。いわゆる年の功じゃないけど。
松田:まあほら…彼女に振られるとかね?
みなと:そうそう。家族がうまくいかないとか、そういうので十分きっかけにはなり得ると思うんだ。あとは仕事で昇進できないとかさ。
松田:うんうん、そうやんね。
みなと:ただやっぱり…それではなお不十分というか、
松田:うん。
みなと:さっき松田は、無限のノーの先に何も無いのを見るのがポイントだって言ってたけど、僕が今言っているような人は何回かだけのノーの先で落とし所を見出しちゃってて…
松田:言語的に意味を究明していくっていうのはさ、「これか…いや違った。じゃあ次はこれ以外の中に探さなければ」っていうのを繰り返すことで、世界を言葉によって刻んでいって、いよいよこれ以上見出しうるものは何も無い、どこで切っても何も出てこない、ただただ失敗に終わった意味文節線の残骸がおびただしく漂うのみ。ここまできてついに「ああそうか」となるようなものだと思うのね。
みなと:はいはい。
Source: commmon
c 実在の意味についての問いは、言語的に究明されなければいけない
松田:うんうん、分かるよ。
みなと:なんでこんなことを言ってるかって、会社の人と話しててもやっぱ感じるわけよ。この人にはこの人なりのそういう部分が見えるんだけど、でも彼は言語的な追求は十分にしていないなっていう…まあそれが浅いとか深いって話じゃないんだけど、そういう嫌な感じというか、
松田:はいはい。
みなと:そういうことを考えると、松田の言うように
松田:そう、そうやねん。みなとの言う通り、そういうことを全く考えずに生きてきたやつなんて稀なわけ。
みなと:うんうん。
六本木でESSENTIALSを着ている彼にさえあるはず
松田:生きていく中で何かしらあって、それに対して「こうかもしれない…やっぱ違うか」みたいなのって、それがないはずはないねん。その上で「あるいはこれかもな」っていうのは各々持ってるわけ。
みなと:うん。
松田:だからこそ、イージーでポップな言い方をしたり、外形的に了解可能性の高い表現ばかり使って、
みなと:うんうん。
松田:
みなと:だし、むしろ松田の言っていることでいくと、そういう人たちにもっと刺していかないとというか。
松田:そう、そういうのでよしとしてはいけないねん。そういうのをボコボコに叩きのめした先で…まあそういうことを考えに考えた先で禅の方法論が生まれたのは分かるねんけどね。でも
みなと:笑
松田:でもほんま、中途半端なものはあかんのよ。半端な部分をもって全体を見たらあかんねん。
みなと:下手な引き受け方をしてるというか…
松田:そうそう。
2021年11月21日
Aux Bacchanales 紀尾井町