中垣:「自分が好き/嫌い」はおかしい、これ聞きたい。
松田:あー、これはね、
中垣:まあそうやんな。
松田:自分が好き/嫌いって言ってるとき、それを言ってるお前は誰なん?って話。自分が好き/嫌いっていうのは、例えばカレーよりオムライスが好きですみたいな話とは違うねん。
世界、自分、時間など、そこから抜け出ることのできないものを客体としようとすると、客体であるはずのものの中に主体たる自分がいるという矛盾に陥ります。これに関しては最近流行りのマルクス・ガブリエルも言いたいことがあるようですが、ここではより簡潔にして溌剌な鈴木大拙の文章を引用しておきます。
「時」を空間的に翻訳して水の流れに喩へて見ると、何だか解つたやうでもあるが、その実、問題は益々迷路に入るのである。川上が過去で、川下が未来だと云ふことに見たいのであるが、「時」の未来なるものは、まだ出てこないのであるから、川の水を山の上からでも見るやうなわけに話することは出来ぬ。川と云へば、両岸に沿うて川床がある、その上を水が流れて、そこに「川」なるものが出来る。「時」にはそんな川岸も川床も考へられない。而して又吾等は「時」なるものを川のやうに、「時」そのものから離れて、それを「時」の岸から見るわけに行かぬ。「時」の岸に上つて「時」の流れを見ると云ふときには、その「時」は現実性を失つてしまふ。なぜかと云ふに、吾等はいつも「時」そのものの中に居るのである。過去・現在・未来の三世に「時」を切つたり、またその外で「時」の流れなるものを一つの連続体として眺めると云ふことは、「時」そのものと、何等の関係をもたぬ抽象体の話をして居ると云ふことになるのである。
「事実」と云ふことは、どんなことを云ふのか、はつきりわからぬやうでもあるが、「時」の事実は実に「時」そのものの中に生きて居ると云ふことに外ならないのである。「時」そのものの中に生きて居ると云ふことは、「天上天下唯我独尊」と云ふことでなければならぬ。此独尊者が「時」を作つて行くのである。「時」は独尊者の生きて行く痕跡なのである。「時」を此独尊者から離しては解せられぬのである。「時」は痕跡であるから、それのみを「事実」だと見て居ては、巨人の独尊者はもうそこには居ないのである。吾等の考への混雑は実に此矛盾から始まると云ふべきであらう。
Source: 鈴木大拙『時の流れ』
中垣:じゃないね。だから逆に自分が嫌いだから自殺するとか、ちょっとすごいよね。
松田:まあまあ。とにかく
中垣:そうやんな、慰めでしかないよな。だから自分が好きっていうのも嫌いっていうのも、
松田:うんうん。
中垣:「自分が嫌い」って、なんかの保身を感じるやん。こういうところが嫌いっていうのがあるわけやけど、
松田:自分が嫌いって言うことで、具体的な課題の解決に取り組まずに済むわけ。
中垣:うんうん。自分の嫌いな部分を抽出してそれを嫌いだと言うことで、
松田:そうやねん。自分を嫌いって言ってるやつは、結局自分のことが好きで傷つきたくないねん。
読みやすい上にいい本だからみんな読もうな
岸見一郎・古賀史健(2013)『嫌われる勇気』ダイヤモンド社
中垣:
松田:ほんまに自分が好きなら、わざわざ好きなんて言わへんもんな。
中垣:好きやけどね。
松田:まあね、聞かれたらそう答えるけど。
中垣:まあでも自分は好きかなぁ。
松田:出身地とかと一緒でさ、今さら避けては通れないねん。
中垣:そうやんな。
松田:同じ違和感をさ、「自分がすべきこと」「自分がとるべき行動」みたいな言い方にすごく覚えるねん。
中垣:まあそれはさ、ありのままの自分を指しているというよりは、
松田:あー、社会人として…みたいなね。
いや、やっぱおかしいだろ。「~すべき」じゃなくて「~する」でいいんだよ
中垣:そうそう。
松田:この話が頭に浮かんだきっかけはね、このあいだの日曜日にKITTEのスターバックスにおってんけど、
とは言え『夢をかなえるゾウ』は悪くない本だと思うよ
中垣:はいはい。
松田:それで、なんでみんな自分が好きとか嫌いとか言ってるんだろうって。
中垣:
松田:あー、そうなん?
中垣:あの本、別にたいしておもしろくはないねんけど、言ってることは何にでも適用できるというか、
松田:なるほどね。
中垣:だから何かしら自分がモヤってるとして、
松田:はいはい。
中垣:まああの本はさ、世間ウケするように分かりやすく書いたってだけの本で、
松田:はいはい。
中垣:でも、そういう考え方が万能っていう説はある気もしてる。まあ万能というか…ニュアンスにはこれ、おれが建築学科にいたときに「コンピューテーショナルデザイン」って言って、ライノセラスとかグラスホッパーを使ったデザインを教えてくれた先生がいて…
松田:うんうん。
中垣:その人が言ってたのは、世の中の全ての現象はコンピューターでシミュレーションできると思うと。それはそうであってほしいということも含めて、とは言っててんけど。
松田:うんうん。
中垣:そういう考え方ってあるやん。『イシューからはじめよ』もそれに近くて、
松田:なるほど。
中垣:
彼女を前にしたら岩波文庫なんてクソの役にも立たんのですよ
松田:笑
2020年7月3日
Aux Bacchanales 紀尾井町
『イシューからはじめよ』の著者。
「僕らはデータ×AIだけでなく、様々な技術革新が重なりあい、exponentialな変化がいたるところで始まる本当に面白い時代に生きています。単なる大量生産の時代は終わりました。これからは既存のルールでのサバイバルではなく、新しい時代に即したリテラシーを身につけると共に、ジャングルを切り開き、欲しい世界を作るような力を持てるかがカギになります」って言ってる。