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思索 生きづらさ

「辛い」の構造的な欠陥

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中垣やることが無くて暇なのもしんどいし、やることに追われて気疲れするのも嫌で、それを考えると…何やったっけ?

西川:人生くだらんな、って。

中垣:って西川は言ってるのね。それに対して…まあその結論自体には断固としてノーを突き付けるけど、まあその考えの過程に関しては言わんとすることも分からんではないかなって

c 生きるの大変だし、いっそ自殺しちゃう?

松田:うんうん。

中垣:で、前から言ってる話として、ニートしてたときと働き出してからやと働き出してからの方が楽みたいな話があるけどさ、自分が何かに取り組む理由を自分では作り出されへん、要は自分で自分のけつ叩かれへんような人は、そこはもう外注しちゃっていいんじゃないかって思ってて

c 「したいこと」をめぐる問題

松田:はいはい。

中垣:そこで全体の何割を外注するのでもいいんだけど、残念なことに一般的には普通に会社勤めをするかフルで自分でやるか、つまり一週間の内の7分の5を外注するか全く外注せずに自分でやるかの二択しかないわけ。それでもまあ7分の5を外注するんがしっくりくるんなら、それはそれでいいんじゃねって話。

会社に勤めて一週間のうち平日5日間は会社で求められることに取り組むか、会社には勤めずに一週間のうち7日間とも自分で取り組むこと決めるか、ということです。

松田:うんうん。

中垣:で、それに続くのがさっきの西川の話で、もちろんやることが無くてしんどいのはそれはそうやねんけど、今の河東みたいにやることがあり過ぎてしんどいっていうのもあるわけやん

河東:はいはい。

中垣:しかも河東のそれって、大学のときにレポートとか卒論でしんどかったのとはちょっと種類が違うというか、大学のときの「これ出さんかったからとてどうなるでもないし…」みたいな、あくまで自分で完結しているというのとは違って、仕事でそれすると単純に周りにも迷惑かかるし、もうそうするしかどうしようもないって意味で、気持ち的に結構違うものがあるなと思っていて…

河東:これってさ、一番最初のテーマ自体はどこ出発なん?

中垣:なんか西川は今大学四年生で、あと半年くらいで働き出すねんて。

河東:はいはい。

中垣:で、前に西川が来たとき、卒論も出しちゃったし卒業までやることがなくて辛いみたいな話をしとってん。それの続き。

c 「やりたいこと」とか別にないんですけど

河東:なるほどなるほど。

西川:今は暇で辛いけど、やることがあったらあったで辛いじゃないですか。自由な時間も欲しいなってなっちゃうし。

河東それはもう、永遠のテーマやね

中垣:土日寂しい問題ね。

河東:おれは結局「でも今は楽しくない?」みたいなところに話が収束してて…というよりそうするしかないって感じやな。だって辛いって思ったときにはもうそれに着手してるというか…例えば「まさに今がだるい」っていう感情は分かんねんけど、辛いとかっていう感情って後から出てくるもんであって、なんやろ、それこそ仕事もそうやけど、結果自分がやってもうてるから辛いわけやん。それを今さら「辛い」って言うのはすごいエゴってるというか…分かる?

中垣:あー、なんとなく分かる。

河東:言葉にすんのがすごいむずいねんけど、自分は既にその状態になってんねん。言うたらその会社に入らんかったらそんなことせんでよかったわけやん

中垣:せやね。

河東:その対価を得ているから自分の中で納得してやってられてるわけで…収入が無いのは嫌なのか、まあ何なのか、いずれにしてもそのときは会社に勤めるっていう選択しちゃってるわけやん。

松田:うん、しちゃってるわけやんな。

河東:そこで辛いとか言い出すのって、それすごい話変わっちゃってるというか…

中垣:ここで自己責任論になるのも違うとは思ってて…要はあれじゃないん? ぼけっとしてだらだら過ごしてきたのに、ちょっと辛いって感じた瞬間に自分を客体化して「おれって今すごい辛い」みたいなことを言い出すのはどうなのって話で。

いや結構自己責任論…

河東:あー。

中垣:なんか、いきなり被害者ぶってるというか。

河東:でも難しいよな、結構回転系の話やん。クルクル回る系の

無限背進する系ということを言っているのだと思います。ただその因果の遡及が円環的なところに、我々に払拭し難い東洋的なるものが云々

井筒俊彦(1991)『識と本質』岩波文庫

松田:うんうん。

河東:でもなんやろ、「辛い」の逆の感情が「楽しい」やとしたらさ…いや、まず逆の感情って何なんかな?

中垣:せやねん、そこもいまいち分からへんねん。だから逆ってむしろ、そういうのが意識されていない状態、モヤっとしてない状態なんじゃないかって

河東:せやんね。たぶん楽しくても、それはそれで後からきっとモヤっとするし。

中垣:楽しいときって別に「今おれ楽しい」とかって思わへんし。

河東:なんか難しいよね。だからずっと楽しいとかじゃなくて、そもそもそういうことを意識せずにいられる人間になりたい。でも結局そのためには楽しいことをやっていなければいけないのかな、その辺はよう分からへんけど。

悟りっぽい

c 禅がよく分からん

中垣仮に実態として楽しんでるおれがいたとして、それをどの地点から眺めるのかの問題なんかな。それを眺める必要ってあるのかみたいな話ももちろんあるし、あるいは仮にって言ったけど、実態として楽しんでる自分ってそもそもいるのかみたいな。

松田:はいはい。

中垣:なんか初歩的な認識論みたいな話になってるけど、要は自分をどの地点に置いたかによって「辛い」であれ何であれ決定されているだけで、その置き方ってお前の嗜好なんじゃないか?趣味なんじゃないか?って。

野矢茂樹(2012)『心と他者』中公文庫

松田:思うねんけどさ、なんでそこでいきなり主客の分離が起こっちゃってんの?ってとこやと思うねん。本質的に何かがつまらんっていうよりも、生身の自分から離れたところに「本当の自分」っていうのを措定しちゃったから起こっている問題やん

中垣:そうそう。

松田:つまり今の自分とそれを取り巻く環境を客体として、それに本質的な問題があるかのように述べているけれども、もっと手前の段階で構造的な問題があるのであって…って話。辛いって言うてるお前は誰やねん?って。

中垣:あー、そう。そうやね。

河東:そうやねん。なんか話が変わってもうてて、たぶんその…辛いと思わしめてるのは辛いっていう地点から眺めてる自分であって

「私」における主客分離を超克した先で主体的な一歩を踏み出せずにいる人には、第六章「実存主義・実用主義と禅」をぜひ読んでもらいたいですね。

鈴木大拙(1987)『禅』ちくま文庫

中垣:そうそう、そやね。しかもそういうのって往々にして習慣化されちゃうやん、「辛いって思いがち」みたいな。

河東:なんか、悩んでるときは自分の中に自分が二人おって…みたいな話やんな。そもそもおらんでもええ二人目がおるから悩むことになるというか

松田:うんうん。

2019年11月29日
ANTICO CAFFÈ AL AVIS 東京ミッドタウン

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