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肩書きはただのエンタメ、お前が何者であるかとは関係無い

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中垣:昨日考えててんけどさ、「悲しい」にもいくつかのパターンがあって、例えば「彼女にフラれて悲しい」とか「いけると思ってた昇進が適わなかったから悲しい」、あるいは「ドラマの主人公が死んで悲しい」とかがあると思うねんけど、これって実は全部違った悲しさで、もしどれかを本当の悲しさだと言い得るのだとすると、それは一番最初の「悲しい」だけやねん

みなと:なるほどね。

c 悲しみよ こんにちは

中垣:あとの2つは程度の差こそあれ本質的には全く一緒で、それがつまりエンタメやねんけど、なのに「昇進が適わなかったから悲しい」ってやつを「彼女にフラれて悲しい」の方に寄せて理解しているやつが多過ぎて…

松田:はいはい。

中垣:ここで言うエンタメってどういうことかって、喜怒哀楽が前もって規定されていて、前もって決まっているインプットに対して前もって決まっている感情がアウトプットされて、それを予定調和的に楽しんでるだけっていうのがそれやねん。これはこれでもちろん悲しいことではあるんだけど、それと前言語的にもろ悲しいことは全くの別物で、そこをはっきりさせずに同じ言葉で呼んでいることが問題だと思っていて

みなと:はー、なるほどね。

中垣:そこが倒錯しているというか、ごく個人的な感情と社会という装置に適応した上でのそれをごっちゃにしているから、さっき言っていたように、お金を稼ぐとか有名になるみたいな一般的な目標を…例えば机の上にある灰皿とペンとメモパッドを綺麗に並べることが今一番しっくりくる「やりたいこと」だったとして、それとごっちゃにしてるわけ

そう言って人が使っているペンを勝手に並べだしたのである

松田:ここではあれやんな、一般的な目標…まあお金を稼ぐでも有名になるでもなんでもいいけど、それが「ドラマの主人公が死んで悲しい」に対応していて、机の上にあるものを綺麗に並べることは「彼女にフラれて悲しい」と対応してるんやんな。

中垣:そうそう。そういう、社会の中にポジショニングするっていう目標に過度に自己同一化し過ぎているというか、それでもって自分とは何者なんだってところに答えようとしているというか。

明石灰皿とペンとメモパッドを綺麗に並べることに「机の上の整理屋」みたいな謎の肩書きを付けちゃう感じですよね。より原体験的なものを、肩書き的なものと混同していないか?って。

c 肩書によって一般化される以前の自分

太郎:笑

みなと:そういうことか。

明石:でもなんだろう、そこは実際混同されがちで、いわゆる承認欲求型のSNSでは本当によく見られますよね。逆にcommmonは、出てくるやつがアノニマスなところがめっちゃいいと思ってて。

中垣:はいはい。

明石:結局今のメディア作りって、承認欲求を使ってグロースさせるものになり過ぎてるんですよね。メディアはメディアで客を引っ張ってこれるやつを重宝するし、出演する側もそのメディアを通じてアカウントをグロースさせることしか考えていないから、だからキャッチーでファストフード的なコンテンツしか出てこないんです。

ニッチで精進料理的な commmon をどうぞよろしくお願いします

中垣:うんうん。

明石:で、ファストフード的なコンテンツを普段から食ってる人は、自分の本当にやりたいこととそれが世の中にどうポジションされるかとの間で、後者を優先して謎の肩書きを乱発することになる。そこに違和感があるんじゃないかな。

中垣:そうですよね。

松田:なんて言うか、みんなラベリングが早過ぎるよね。それがなんであれ現在とは完全に切り離されたアーカイブになってから、そこで初めて名前を付けたらええのにね。

酒井:なんかその…キャリア的なことをどうしても考えちゃうんですよね。例えば松田さんで言うと、40歳になったときもずっとこのままでいるのか、話すのが好きなら論客っぽい感じになるのか、まあ分かんないですけど、おれならそういうふうに考えちゃうんですよ。で、もし論客とかになるなら、それに向けてもうちょっと違うことをやった方がよさそうじゃないですか。

松田:うんうん。

酒井:そういうことは考えないのかなって…

松田:別にたまーには考えるよ。でも考えるけどさ、そもそも現時点で誰もしていないようなことをしているわけだから、その10年後20年後を、既に世の中に存在している何かとして想定するのってどう考えても妥当ではなくない?

松田:というのもさ、少なくともまだ誰もしていないことをすることになるだろうから、何にって言われても、それに対する分かりやすいラベリングとか説明は存在しないわけ。

酒井:なるほど。でも一般的な感覚、すぐ思うところからすると、「え、じゃあ結局なんなの?」ってなっちゃうところはあるかなって…あー、でもそうですよね。説明する意味は無いって感じですよね笑

松田:そうそう笑 まさにそうしている限りにおいて、おれは自分のしたいことを知ってるもん。別に他人からいいじゃんって言われなくても、一人でもそうするし。

Source: commmon

c 「したいこと」をめぐる問題

明石:そうそう。

松田:なのにその途上で先に名前を付けちゃうから、そこから先はその名前の範囲でしか行動できなくなって、しかもその名前は社会へのポジショニングとしての側面が大きいのに、それに芯の部分から自己同一化してしまっていると

太郎:名前を付けるのなら印象派とかロココ期とか、そういう感じであってほしいよね。

みなと:そうだね笑

太郎モネが自分のプロフィールに「印象派」とか書いてたらおかしいじゃん

Image: commmon

印象派という呼び方は彼の生前からあったとか、そういう話はいったん置いておいて、分かりやすい例としてのみ理解してください

中垣:笑

明石自分から名乗るからおかしなことになるって話ですよね。

松田:いやー、しっくりきたな。

自分に自分で名前を付けるということは、自己を実在から引き離して初めて可能になります。私は私から離れその外に立ち、それを客体として本質的に認識し名前を付けるのです。それはいかにも知的で人間的な営みではあるのですが、その無限背進性を理解しない限り、そこから前言語的確信を導くことはできず、むしろラベリングに振り回されるばかりです。

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鈴木大拙(1987)『禅』ちくま文庫

2021年1月17日
Aux Bacchanales 紀尾井町

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