みなと:昨日会社の同期とサウナに行ったんだけど、その
松田:エクスペリエンスが低下してるとは前々から言ってたよね。
みなと:そう。それがもう底に落ちたというか、
松田:はいはい。
みなと:まあ言い訳はいろいろとあって、昨日はまず笹塚の銭湯のサウナに行こうとしたんだけど、そこが混んでいたせいで入れなくって、しゃあなしマルシンスパに行くことにしたんだけど、こっちもこっちで並んでたのね。
松田:あー、なるほどね。
みなと:で、また移動するのもあれだから待って入ることにしたんだけど、入ったら入ったで中もめちゃめちゃ混んでて、90分で入ったんだけど3回目の途中で時間に追われる感じで出たの。
松田:あー、もう全然嫌やん。
みなと:そう、「これは…なんなんだ?」みたいな感じになっちゃって。で、
松田:はいはい。
みなと:それで結論としては…いわゆるご熱心な方々って、形式美的なことを結構大事にしているというか、自分なりのセットを回して気持ち良くなることを大事にするじゃない。
“““ご熱心な方々”””
松田:うんうん、そうやんね。
みなと:でも、やっぱりそれじゃだめだと。
松田:笑
みなと:だからサウナ室の中にいる時間が5分だとか10分だとか、そんなことはどうでもよくて、
松田:うん、うんうん。
みなと:あとはその日、人が多かったのもあってうるさかったんだよ。サウナ室を出たところでもうるさくて、それもあんまり良くなかったんだけど…でも、それもやっぱり言い訳でしかなくて、本当に自分のことに集中していれば周りなんてどうでもいいはずだと。
松田:笑
みなと:そういう反省を踏まえて昨日もサウナに行ったんだけど、時間制限のない銭湯だったからじっくり楽しめたというのもあって、今までで最高のサウナエクスペリエンスをすることができたんだよ。それで…
松田:はいはい、なるほどね。重要なのは形式ではないという思想のもと、
みなと:えっとね、まず時計を一度も見ていないね。
松田:おお、それは偉いな。
偉いが褒め言葉、傲慢である
みなと:あとはね、サウナに入ってからはひたすら暑さと向き合って、「もう今出ないと」っていう瞬間をひたすらに待ち続けてた。
松田:はいはい、なるほどね。
みなと:
今ここの一刹那には全宇宙が顕現しており、それを捉まえることこそが人生の真相なのです。まじで。
独尊者はいつも現在の刹那において過去から未来へ躍り出る。彼は現在の一刹那において黒暗暗の真只中を切り抜ける。此一飛躍の中で所謂る「過去の歴史」なるものが、溌剌たる生気を取り返すのである。
Source: 鈴木大拙『時の流れ』
松田:いやぁ、それはすごくいいな。そもそもあれはある種のメディテーションなんだから、自分のフィジカルに向き合うことこそが大事やもんね。
みなと:そうそう。だからご熱心な方々が彼らのやり方で楽しむのはそれは勝手なんだけど、昨日のサウナは僕にも同期の彼にとっても明らかに効用が高くて、
松田:うんうん。
みなと:だからもっと…ただのサブカルチャーではない、フィジカルとマインドの一致のための積極的な手段として勧められるものなのかなっていう気はした。
松田:うん、やっぱりそうやんな。ここは温度がどうとか水温がどうとか、言うたらそんなんどうでもええねん。
みなと:そうなんですよ笑
松田:ホームサウナがどこそことか言ってるやつには一回黙ってもらいたいよな。
一番好きなサウナ? グランドハイアットです
みなと:そうだよな。
松田:あとは90分で出ることを意識するのとかだるいし、行くなら銭湯のサウナでいいよ。
みなと:絶対そっちの方がいいよな。安いしさ。
松田:ただまあね、言いたい放題言った後であれやけど、
札幌に異能の才、「ととのえ親方」の極楽サウナ道 – 日本経済新聞
【サウナ対談】「死を意識したら、自分のやっていることの意味のなさに気づいた」(佐渡島庸平×箕輪厚介) – 新R25
みなと:うん、それはそうだね。それで言うと「ととのう」ってよく言われるけど、
“Who is John Galt?”説がありますね…
松田:各々のごく主観的な体験を雑に括ったせいで、何言ってるかよく分からんみたいな感じになっちゃってるよね。
みなと:そうなんだよ。だからそこも含めて、ご熱心な方々の言っていることを聞いてみてもいいかもしれない。
松田:案外いいこと言ってんのかもしれんしね。
みなと:でもまあさ、
松田:“““マインドフルネス”””ね笑
みなと:そうそう。そこの3つって奇しくも同じタイミングで出てきているし、そこで得られる効用もだいたい同じ感じというか…
松田:うんうん。
みなと:
松田:笑 数歩先には禅がいるって話ね。
みなと:そうそう。
松田:でも確かに、
みなと:うんうん。
松田:シンプルに効用があったから、大学で上京するまではずっとしててん。試験がある日とかも、朝に瞑想をするとしないとではパフォーマンスが全然違うし。
みなと:うんうん。
松田:あとは大学に入ってからも…これはもはやネタとして何回も言ってるけど、
patagoniaのバギーズ履いて行ったら「座禅に最適な服装ですね」って言ってました
みなと:あー、言ってたね。
松田:それでやねんけど、そこで得られる、二元的な乖離がなく自分が今ここにいる感じって、どこまでも主体的でソリッドで盤石なものだったの。
みなと:はいはい。
松田:なんかそれと比べると…サウナとか、あとはランニングした後の感じとかにも思うのは、
みなと:あー、なるほどね。
松田:その点でもみなとが言った
言ってない
みなと:確かにそうだね、自分で掴みにいく感じはかなりあったよ。
松田:だからまあサウナでも何でもいいけど、ああいうフィット感を得ることが目的のそれは、
みなと:うん、そうだよね。サウナってかなり環境ありきなところがあるから、どうしても受動的になっちゃうんだけど、より主体的に経験しにいかないとダメだよね。
松田:せやねん。サウナ室と水風呂は、幼稚園児が箸の使い方を練習するためのガイド、あれと同じものでしかないねん。
みなと:確かにね。
松田:それこそ禅では、
自己の体験というのは、直接に事実に到ることを言い、それが何であろうと、いかなる媒介をも介さないのである。禅が好んで用いる比喩がある。月を指すには指が必要である。だが、その指を月と思う者はわざわいなるかな。魚を持ち帰るには籠が重宝である。だが、魚はもうちゃんと卓上にあるのに、なんでいつまでも籠を気にすることがあろうか。ここに事実がある。取り逃がさぬように、素手で捕まえようではないか。——こう禅は提唱する。
Source: 鈴木大拙(1987)『禅』ちくま文庫
みなと:うんうん、なるほどね。ただ補助線の強さで言うとさ、サウナってかなり強めの補助線なわけじゃん。それと比べると瞑想とかはかなり弱くて、だからやりにくいというか、
松田:まあ確かに、ちょっとやっただけでは報酬が与えられないからね。
みなと:そうだよね。
松田:でも…じゃないねんけど、ちょっと前にアクア東中野に行ったとき、あそこってかなり暑くて冷たいのに何も考えずにいつも通りに入っちゃったせいで、座ってぼーっとしてるときの感覚が、かなり ピー に近しいものになってんな。
みなと:笑
松田:つまり何が言いたいかって、サウナは補助線としては確かに強力なんだけど、でも
みなと:確かにね。
松田:だから
みなと:次の一歩に繋がっていないよね。確かにそれはあるね。
別にサウナでもいいし、サウナじゃなくてもいいんだよ
2021年3月7日
Aux Bacchanales 紀尾井町
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