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ファッション 人生

kotohayokozawaのショー、泣いちゃった

2 years

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松田コトハさんのショーすごく楽しかった。ああいうの観に行くのは初めてやってんけど。

ももこ:へー。

松田:普段仕事で行ったりってする?

ももこ:する…それこそ前職のときはパリコレとか行ってたし。今日は行けなかったけど、でもストーリーズで流れてくるのを見る限り、いいショーだったんだろうなって。

松田:あー、そうなんや。なんか違う感じってあんの?

ももこ:うーん…でもなんか私、いいショーってなんだろうみたいなのがよく分からないところはあって

松田:はいはい。

ももこ:別に前の会社ではそこを教えるとかもなかったし、それでも記事は書かなきゃいけないし。だからみんな頑張ってショーをやってるのに、なんとなく英語ができるからってだけで行くことになってて。

松田:笑 なるほどね。

ももこ:そういう申し訳なさがあって転職したみたいなところもあるから、みんなショーを見て何を思うんだろうなってむしろ思ってる

クソ遠回りして質問に質問で返されたの、文字にしてようやく気付いたわ

松田:うーん、でもすごかったよ。中垣は今日のやつ何がよかったん?

あ…

中垣おれは泣いてた、もう涙流れる寸前やった

松田:いや、でもそれはほんまそう。やっぱさ、様々に取り得る可能性がある中で、でも可能性を可能性のまま置いておくことには意味が無くて…

松田:あとはやっぱ思うねんけど…人生の意味は、全てにおいて選択の中にあるねん。たぶんやけど。

みなと:あー、なるほどね。

松田:前から可能性を可能性としてのみ保持していることに意味は無いって言ってるけどさ…まあこれは当たり前やん。そのこと自体に意味があるんであれば、そんなん一生受精卵にとどまっとけって話やねん。

みなと:笑

松田:でもそうじゃないわけ、何かを選んでそれをこの世界に凝固させていくことに意味があるはずやねん。だからつぶしが効くとか思ってコンサルやってるやつはクソやし…あとはヴィンテージロレックスも同じ意味でゴミやねん。あんなん、何を選んでることにもならへんねん。

Source: commmon

c 「Aを選ぶ人生じゃなくてXを見出す人生を選べよ」

ももこ:え、でもショーをするって時点で何かを選ばなければいけないことは決まってるじゃないですか。その上で良かったのか悪かったのかっていうのは…

松田:まあそれはそうやな。それを言うたらショーなんて観に行ったことがないから、他との相対的なことは知らんって話はあるねんけど。

ももこ:うんうん。

松田:でも、にしても一般性の低いというか…まあそれだけで即ち良いということにはならんし、一般的にショーというフォーマットがどういう振れ幅の内側にあるんかも知らんけど、それでもこれを選んでいるっていう感じあったけどな

ももこ:あー…中途半端じゃないって感じ?

同種の別の物が複数ある中でそのうちのひとつを選ぶということは、そのひとつに他への排他性を見出すことであり、そのためには全ての選択肢が十分に比較されなければいけません。
しかし私たちが日々実際に行うあらゆる選択は、スペックシートを見比べて明快に結論が導き出せるものではありません。そこでは重要なパラメーターだと思っていたものがそうでないと判明したり、また逆に、全く予期していなかったものがパラメーターとして現れることが多々あります。
そのため何かを選択するということは、一般的に考えられているように全ての選択肢をスペックシート上で見比べてその中からひとつを選ぶようなものではなく、むしろ、選択肢を段階的にときには十分な根拠もないまま絞っていき、しかしなお不可逆に手元に近づけていくようなものではないでしょうか。

c 選択をするとはどういうことなのか

中垣:おれはね、他のショーと比較できないのがすごいと思ったな。だって別に新作の発表じゃないし、ファッションビジネスのサイクルの上にあるショーでもなかったわけやん。

松田:せやな。せんでもええショーを、それでもしたっていうところはあるよな

中垣:ただただやりたくてやったわけで。それこそ前に働いてたときにヒカリエでやったショー…って分かる?

ももこ:はいはい、私も行きました。写真を貼り付けて背景にしてたやつですよね?

中垣:そうそう。あのときは「こういうこともしたいね」みたいな話もしながら、結局スケジュールとかの都合もあって全部やりたいようにはできなくて、でもやるしかないって言ってた部分もあって。

松田:うんうん。

中垣:しかも当時のおれはだいぶ頭でっかちに生きてたから、それを見ながら「ふん」とか思ってたわけ。

松田:はいはい。

松田:でも、それはもうそれってことで現場は進行するんですよね。今なら分かるんだけど、当時はあれが受け入れ難過ぎて。

中垣:おれもkotohayokozawaで思ったよ。DMをデザインしたとき、ロゴの位置が微妙なまま「これでいいよ」って言って印刷し始めて、「まじかよ…」とか思ってるうちに、それがもう何百枚もプリンターから吐き出されてくるわけ。

コトハ:笑

Source: commmon

c 頭で考えるだけじゃ作れないもの

中垣:でも今回はそれとは全然違うやん。そういうショーをやれたっていうのはすごく良かったことだし、バタバタしてるやつが立つのを見るたびに「…立った」みたいな気持ちになってたもん

kotohayokozawa ショー
Image: FASHIONSNAP.COM

コトハヨコザワが屋外プールでショー開催 学生時代から続ける15年間の創作の集大成 – FASHIONSNAP.COM

チューブマン – Wikipedia

松田:だからあれやな、おれに分かる必然性は無かったっていうのがすごいね。

中垣:あー…え、どういうこと?

松田:だからそのままやって、必然性が無いねん。「それはまあそうするだろう」っていう、そう思える部分がないねん。

中垣:あー、そうやね。なんか勝手に考えた手料理を振る舞われたって感じ。肉じゃがでもないし、その料理の名前は分からへんねん。

松田あのショーがあそこに存在したということは、そのままコトハさんという存在の証明になってるわけ。彼女がしなければ誰も代わりにはしてくれなかったことをやってるねん。

ももこ:あー…

I swear by my life and my love of it that I will never live for the sake of another man, nor ask another man to live for mine.

Source: Ayn Rand(2005)『Atlas Shrugged』Signet

Ayn Rand(2005)『Atlas Shrugged』Signet

中垣:そう、でもそうなんよ。

松田:彼女がやらなくても他の誰かがやったであろうとはまず思えない、人の意志とか期待みたいなものを信じられる、非常に肯定的なものやった。普通に泣きそうになったもん。

中垣:やっぱそうなるよね。

ももこ:ふーん。

松田必然性なきところに逆説的に生起する全面的必然というか…人が生きるっていうのはそういうことやねんて。

中垣もう発明とかと一緒やんね

酒井:え、てか今の話って今日行った展覧会…ですか? 明日もやってます?

松田:…いや、そういう感じのやつじゃないねん。

ももこ:笑 めっちゃ笑っちゃった。

酒井:あ、なんかすみません。

中垣:常設のファッションショーはすごいね。

松田:モデル3交代制やん。

2022年5月27日
commmonの部屋


kotohayokozawa ショー
HeaderImage: FASHIONSNAP.COM

コトハヨコザワが屋外プールでショー開催 学生時代から続ける15年間の創作の集大成 – FASHIONSNAP.COM

前回のショーからたった3年でここまで社会が変貌してしまったことを当時の自分は知る由もない。世の中全体に漂っていた閉塞感や、見えないものに対する潔癖な感じにすっかり辟易してしまった。皆が得体の知れない正しさみたいなものを追い求め、翻弄されているきがしてならない><
このままではダメだと思った。ふとした時に生まれるユーモアや愛おしい数々の無駄や余白が社会からシュワシュワと消えて無くなってしまうのではないか。なんとなく正しそうな、しっかりしてそうな、無害っぽい人になってしまう予感がして怖くなり、今自分にできる範囲でじたばたしてみようと思った。こんな時期に何のシーズンの拘りもなく、新作発表でもなく、なんでもないくせに今までで一番盛大なお祝い事をやってみたい、そんな想いで準備をしてきた。

私生活では、ダイアモンド・プリンセス号が来航したくらいの頃に娘が生まれた。当たり前のことだが子育ては自分の思い通りには何一つ進まない!まだ社会となんの繋がりもない、生き物としての本能を剥き出して奔放に振る舞う娘を見て、つい心の底から羨ましいと思ってしまう。目に留まる全てのものに対して常に興味を持ち、あぁ意味もなく泣いたりしてみたい!

高校時代からファッションに進路を絞っていたので服を作り始めて15年経つ。遊びたい盛りの高校生が夜な夜な着物をくけたり洋裁をしていた。だが15年やっていても服作りは何一つわからないし、ものを作っているという実感がいつまで経っても湧かない。さらにはちょっと無責任に聞こえてしまうかもしれないが、ものを作って売るという体感もなかなか得ることができないままだ。どうしてだろう。他にこれといった趣味もなく、こんなに人生の時間を費やしてきて自分は一体何をしているのだろうか。でも実は前から薄々気付いてはいる。私は決して服を作っていたいわけではない。服を作ることよりも、本当は銭湯で一糸纏わぬ姿の人たちをぼーっと眺めている方がずっと楽しいことを。何も纏っていないのにそれでも滲み出る<意図せず出てしまう>その人の魅力を感じられるから。いつまでも眺めていられる。服なんて別に着なくてもいい。しかし2022年の今この社会を生きていくためには、なかなかそうもいかない。

私がやりたいことは、服を着て生きていくという現代のルールの中で、その人が持っている自分でもまだ気付いていない魅力をどれだけファッションの力で引き出すことが出来るかというゲームをできる限り沢山の方法で試してみたいという感覚にすごく近い。そう例えると不思議と腑に落ちてくる。それにその方が、ただの裸よりも、もっとずっと心を通わせられる。

Source: @kotohayokozawa/Twitter

kotohayokozawa – Twitter