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思索 食事

食事は食事、内装は内装

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中垣:食事が特殊なのはさ、みんな同じようにご飯を食べているように見えても、そこでの体験…とまで言うとやや広いけど、それは人によって全然違うやん

松田:うんうん。

中垣:前から「おしゃれレストランで食事するやつの気持ちがよく分からへん」とか言ってるけど、それも結構根本的な話やと思うねん。

中垣:何が言いたいかって、美味しい食事って美味しい食事でしかないわけ。そこには蓄積がないわけやん。

松田:うんうん。

中垣:もちろん多少は舌が肥えるとかもあるけど、でもそれ以前にセンスが悪いやつは悪いし。だから高い食事って、結局高いお金出したら出しただけ美味しくなるっていう世界でしかないねん。特に肉とか魚とかって素材の勝負でしかないし…

松田:うんうん。

中垣:現代料理とか創作料理とかになってくると、それはまた別の世界にはなってくるねんけど、それでさえも王将の方が食べたいと思えるしさ。

Source: commmon

c 食事の健全な楽しみ方

松田:はいはい。

中垣:一言に食事と言っても、例えば料理そのものが美味しいっていう、味覚そのものが目的になってる人もおれば、あるいは頭で考えて食事を楽しむ、味覚はセンサーに過ぎないっていう人もいるわけやん。そういうのが他にもいろいろある気がしてて…

松田:うんうん。

中垣例えばおれは室内で食事をするのがすごく嫌いやねんな

松田:はいはい。

中垣:特にオフィスの中での食事、あれが一番嫌いやねん。外で買ってきた弁当をオフィスの自分の席で食うやつって結構いるねんけど、あれの意味が分からへん。青空弁当が一番美味しいに決まってるやん。

決まってはいないよ

松田:うんうん。

中垣:なんならレストランの店内もあんまり好きじゃなくて、自分の家でYouTube観ながらの、「ッハァー…」みたいな食事が一番好きやねん。

匿名:笑

中垣:夜に自分の家で一人で食べるのが一番好きやねん、でもこれも人によって全然違うはずやん。そう考えると…みんなは一体何を食べてるんやろうね?

松田:確かにな。それこそ王将が好きな中垣と鮎が好きな落合陽一みたいな、味覚体験に対する嗜好の問題もあれば、もっと手前の話として、食事というよりは東京カレンダーを食べに行ってるやつだっているわけやん

c 「東京カレンダー」な街

中垣:それで言うとさ、よく「体験が~」とかって言うやん。内装とか外の景色とか、その辺も込み込みのトータルの体験としての食事だと。でも、あれもおれには全然分からへんねんな

松田:あー、はいはい。

中垣:もちろん全く分からんではないよ。「あるいはそうなのかもしれない」くらいには思うけど…でもおれには全く刺さらないねん。自分の家で「ッハァー…」とか言いながら食う飯には絶対に敵わないねん。

松田:うん。

中垣:だってよく分からへんやん、内装は内装やん。内装が見たいのなら食事は関係ないやん

松田:まあせやな笑

中垣:内装と景色が見たいのなら、それぞれ別々に見に行けばそれでいいねん。あるいはレストランで席に座ってるだけでも楽しめるねん。別に他の人と一緒じゃなくていいし、ご飯を食べる必要もない

松田:うんうん。

中垣:まああれかもしれんな、おれらはインプット同士を関連づけて総体として認識する能力が弱いんかもな。いい景色を見ながら食事をすると相乗効果があるみたいな、一般的にはそうなのかもしれへん。

松田:景色見ながらご飯食べたらより美味しくなんの? そんなことある?

一般的にはって言ったじゃん

なつき:おれはあると思うけどね。

中垣:それは…つまり1+1が2より大きくなってんの?

なつき:うーん…

松田:そうなると普通にキャパっちゃうねんな。認知資源のメモリがそんなにないもん

中垣:2どころか、むしろ減っちゃうよね。

松田:そうそう。

なつき:でもまあやっぱり、単純な和以上の効用がある気はするけどね。

中垣:それって具体的にはどういうとき?

なつき朝日を見ながらコーヒーを飲む、これはどうなの?

中垣:…確かにな。

松田:いやどうやろう、それはまたちょっとちゃう気もするけどな。コーヒーってそもそもそういうもんというか、逆にコーヒーを神妙な顔して飲むやつなんておる? バリスタくらいやろ。

中垣:まあ普通の食事みたいに味覚体験が強調されるようなものではないかもね。

匿名:あとはコーヒーだと別にキャパんないよね。

松田:そうそう。朝日もコーヒーも別にキャパらんというか、言語的に理解するものではないやん

今回の話についてはこれが全てな気がします。松田にとってのコーヒーはカフェイン入りチル飲料でしかなく、また日の出に対する認識も「壮大で綺麗で素敵」以上のものではありません。そのため朝日を見ながらのコーヒーは「うーん…壮大でチルい!」でしかなく、その経験は確かにポジティブなものですが、それ以上に自ら積極的に意味を見出していく対象ではありません。

一方ここで、バリスタかつ風景写真家という人格を想像すると、彼にとっての朝日を見ながらのコーヒーは全く違ったものになります。彼はきっと「この豆思ったよりも重くて甘みがあるな…チョコじゃなくてナッツを持ってくればよかった」とか「空気が澄んでいますね、やはり厳冬期に訪れたのは正解でした」とかで頭がいっぱいで、何も考えずにゆっくりできるマインドになる頃には、陽はすっかり上がってコーヒーは冷めているはずです。

このように、多様なインプットが同時にある場合、それらに対してどれだけ解像度の高い認識を持つかによって、それらを総体として浸るように経験するのか、得られた情報のそれぞれに対してタグ付けをしていくふうに経験するかが分かれるのではないでしょうか。その経験は前者の場合、一般化しにくいながらも本人にとっては確信に満ちたものになり、後者の場合は言語的で応用可能性の高いものになるでしょう。

中垣:うんうん。

松田:でも言語的な、つまりインテレクチュアルな理解が必要とされるようなものがたくさんあると、それはやっぱり認知資源がキャパっちゃうわけ。だから現代料理を食べながら内装を真剣に見るとかは無理やん。

匿名:たださ、インテレクチュアルなインプットに対してキャパるキャパらないっていう話だったら、歳をとるごとにキャパシティーは広がりそうだけど、でも子供の頃の方が「ディズニーランドで食べる餃子ドックが美味しい」みたいなことはある気がして…

ギョウザドッグ 東京ディズニーシー
Image: TOKYO DISNEY RESORT

ギョウザドッグ – 東京ディズニーシー

松田:あー…

匿名:だから現代料理をいい内装で食うことで1+1が2より大きくなってるような人って、そもそもキャパるキャパんないっていう次元の話じゃない気がするな

中垣:でも子供のそれって、要は解像度が低いって話やから…

松田:そう、つまりキャパるキャパらんっていう話がそういうことやと思うねん。子供って別にグリッドを引いて世界を認識してるわけじゃないから、いくらインプットが多様でもそれが定量的に流れ込んでくる感じはないというか…

中垣:あー、なるほど。「あそこの配管がちょっとすごいな…」とかじゃないわけやね。

「あそこのダクトに用いられている鋼板はGIって言ってね…」

NSシルバージンク – 日本製鉄

松田:そう、全部雰囲気やねん

匿名:なるほどそういうことね。子供にとってのディズニーランドは、さっきの例で言う朝日みたいな感じだったってことね。

松田:そうそう。だっておれらが今ディズニーランドに行っても、「スピーカーどこに隠れてんの?」「マークトウェイン号の所属の港ってどこ?」ってなってキャパっちゃうやん。

中垣:笑

匿名:そうか…でもそれ全然幸せではないな。

2020年12月18日
Aux Bacchanales 紀尾井町

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