Categories
ことば 思索

すごいのは成果であって人ではない

4 years

6 minutes read

中垣誰かを賞賛することの精神構造について話したいねんけど…

松田:はいはい。

中垣:例えば最近の記事やねんけどさ、一番最後が「この後久しぶりに日産のショールーム行かない?」「いいですよ。GT-R見に行きましょう。」っていう感じで、すごくおしゃれに締めくくられてたやつがあったのね

日産 GT-R NISMO
Image: NISSAN

NISMO PERFORMANCE – NISSAN

c 禅的公共観

みなと:うんうん。

中垣:それを見て「あ、これはおしゃれやな」と思ってんけど、そのときに「このアイデアっておもしろいよね」って考えるのか「松田すごいな」って考えるのか、そこの違いみたいな話。

松田:うんうん。

中垣:で、本来的にはアイデアが良いこととそれが誰の手によるものなのかは関係が無いはずやねんけど、でも普通は「松田すごいな」になると思うねんな。

松田:はいはい。

中垣:つまり何かしらの良いアイデアとか良い物を見たとき、そのもの自体を良いと言うのではなくて、それを実行なり発明なりした個人も含めて賞賛する、あの精神構造って一体何なんだ?っていう。

みなと:うん。

中垣:それの行き着く先はフォロワーとフォロイーの関係でしかないというか、そんなことやってるうちは誰も前に進めなくない?というか…

「すごいね!」「うん、知ってる」

みなと:うんうん。

中垣:あれは何なの? なんでやたらと人に帰着させたがるの? だって…それこそ最近の話で言うと、人間なんて究極的には乱数の生成装置でしかないんだから、みんながそれぞれランダムなことをやっている中で、誰かがしていることが当たるかなんて確率論でしかなくて、どこかで何かおもしろいものが生まれたら、それをおもしろいと言えばそれで済む話やん

落合陽一(2018)『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』PLANETS
Image: Amazon.co.jp

デジタルネイチャーとは、生物が生み出した量子化という叡智を計算機的テクノロジーによって再構築することで、現存する自然を更新し、実装することだ。そして同時に、<近代的人間存在>を脱構築した上で、計算機と非計算機に不可分な環境を構成し、計数的な自然を構築することで、<近代>を乗り越え、言語と現象、アナログとデジタル、主観と客観、風景と景観の二項対立を円環的に超越するための思想だ。

Source: 落合陽一(2018)『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』PLANETS

落合陽一(2018)『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』PLANETS

松田:うんうん。

中垣:例えばサイコロを10個投げて10個とも1の目が出たとき、「この10個のサイコロすげぇ!」って言うやつなんていないやん

みなと:笑

中垣:まあもちろんそこまで単純な話ではないけど、でも基本的にはそれと同じやと思うねん。

松田:なんかあれやんね、そこにはいかんとも免れ得ない利己主義的マインドがあるというか…要は「私」と「彼」の二項的な対立があるからそういう見方になっちゃうわけやん

中垣:まあね、生きていく上での適応と言えばそうなのかもしれないけど…

サラリーマンなもんで

松田:そう。確かに一般的にはさ、誰かの達成を前にして「これってすごい!」って言ってるやつ、これはちょっとハッピー野郎過ぎるとは言えると思うよ。

みなと:うんうん笑

松田:ウサイン・ボルトが世界記録を更新したときに「また記録更新、やっぱおれら人類ってすごいぜ」とか言い出すやつがいたら、それはちょっと素直過ぎる。

中垣:ウサイン・ボルトを褒めるのではなくね。確かに笑

松田:でも本来はそっちの方が正しいというか、心情的にはそういう態度を支持したいよな。あらゆる偉大な達成は、人類が月に行ったのと同じくらいのスタンスで受け止めればいいと思うねん

Apollo – NASA

中垣:あー、確かにね。

なつき:うん。

松田:人類が月に行ったという達成をめぐっては、それが誰によるものかなんてどうでもよくて、達成がされたこと自体が素晴らしいわけやん。それを気にするのはソ連とアメリカだけやん。

中垣:笑

河東松田がさっき言った「私」と「彼」っていうのもそういう話やんな? ウサイン・ボルトの記録も自分ごととして喜んでええやん、というか。

松田:そうやね。ここまでが自分でそれより向こうは自分ではなく彼だっていう、そういう偏狭なエゴイズムは捨てようねって話。

c 二種類の認知の膜

河東:それで言うと、禅マスターの「私」の範囲ってどこやったっけ。

中垣:それは無限遠方ちゃう?

松田:そうそう。禅マスターは無限遠方を円周とする円の中心にいるからね。

鈴木大拙(1987)『禅』ちくま文庫
Image: Amazon.co.jp

鈴木大拙(1987)『禅』ちくま文庫

河東:なるほどね。でもさ、ウサイン・ボルトならええねんけど、それが近しい人になるとまた話は変わってけえへん?

中垣:まあ相手が近い人の方が、わざわざ人に帰着させずに「ええやん」って言えそうな気はする。

松田:あるいはだからこそ嫉妬して、わざわざ「お前はすごいな」とか言っちゃいそうやけど。

河東:あー。

中垣:それでさ、結局なんでそんなことをしちゃうのかについてやねんけど、賞賛っていうのは「私」と「彼」を切り分けて、その上でそこに関係を作り出すことなわけやん

松田:うんうん。

中垣:その上で、例えば自分と似ている対象を褒めることで間接的に自分を肯定するであるとか、そういう意図が何かしらあると思うねん。

c 他人を称賛する際の精神構造

みなと:うんうん。

中垣:あるいは逆もあると思うねん。自分にできないことをしている人のことを「すごい」って言うことで、自分ができていないのをなかったことにするとか

Twitterのリツイートはだいたいこれ

河東:うんうん。

松田:そうやんな…なんかこう、すごく責任回避的やんな

中垣:そうそう。

松田:立派なことXがあってそれがAさんに帰属するとき、Bさんは「Aさんはすごい」って言うことで、自分にも立派なことXを達成する潜在的可能性はあったけどそれをすることができなかったっていう、その責任を回避しているというか。

偉大な達成を見たときにすべきことはシンプルで、それが何かしらの形で真似できるものであればそうすること、そもそも自分には全く関係の無い分野でのそれならさっさと忘れて本分に戻ることです。相手に直接伝える場合を除き、いずれの場合も賞賛を口にする必要はありません。

河東:うんうん。

中垣:そういうことやんね。

松田:だから…他人を賞賛してるやつっていうのは、自分の人生を頑張れていないやつなんじゃね?っていう。

中垣:まあそうは言いたいよね。

みなと:これと似た話でさ、一年くらい前に「優秀」の話をしたことがあったよね。

松田:あー、そうそう。あれにも近いね。

松田:そうやな…そもそもなんでそんなこと言うん?って思うな。まあ言う人の気持ちも分からんではないよ。他人を有能と判断することで、判断している限りにおいてはその人にマウントを取れるわけやから。

みなと:あ、そういうことなのか…?

松田:原理的に評価って上からしかできないから、人を評価している限りにおいて、その人に対しては優位を感じていられるというか。だってそうじゃなければそれはライバルになっちゃうやん。

Source: commmon

c 「有能」って言うやつの欺瞞

みなと:「中垣くんって優秀だよね」って言わたときの「それって何を言ってるの…?」って感じとも近いと思う。

中垣:いや、まさにそうやな。あれはあれで気持ち悪いよね。

明示的に成果を誉めればいいじゃん?

みなと:それで一年前に話してなるほどなと思ったのは、優秀であることを指摘することで、「この人は優秀だ」ということを判断できるということを表明している、っていう。

中垣:それに加えて、本当は自分もそのゲームに乗っているはずなのにこっそり抜けようとしてるよね。

みなと:そうそう。

松田:評価するという、原理的に外部からしかできない行動を通して、自分だけ特権的に系の外に身を置こうとしてるよね

なつき:なんかさっきさ、友達が西野のオンラインサロンに入ってるって話をしたじゃん

西野亮廣エンタメ研究所 – Salon.JP

松田:言うてたね。

中垣:まじ?

なつき:小学校の幼馴染なんだけどね。あとはそれに加えて、年末に行った知り合いの家にあるものが全部アムウェイだったらしくて、「おれもアムウェイの世界観はすげえいいと思った」とも言っていて。

中垣:うお…

なつき:それで今の話を聞いて思ったんだけど、そいつは西野が好きとかアムウェイが好きっていうよりは、西野を好きな自分が好きみたいな、そういう感覚でいるのかなと思ったな

松田:うん。その友達はあれなんやろうな、主体的にいいと思えるものをなかなか見出せなくて、そういう焦燥の中で「いいっぽいもの」にすがってるんやろうな。

中垣価値基準を外注してるよね

なつき:うん、なるほどね。

中垣:…でもそれって結構あるかもな。カリスマ的なものをフォローする、賞賛するっていうのは、価値基準を外注することなんじゃない?

みなと:あー、それはあるな。

松田:主体的に価値を見出す責任を放棄してるよね。

モンクレールで意味分からんポロシャツを買っているやつ、あいつはダウンジャケットという成果そのものではなく、それに裏付けられたモンクレールというカリスマをフォローした結果、カリスマをカリスマたらしめている部分ではないところまで盲目的に称賛してしまっているのです。

中垣:まさにイデオロギー。

松田:まあそっちの方が楽やもんね。一度カリスマを盲信したら、あとは教義を誦じてるだけで幸せになれそうやし

みなと:考えなくていいからね。

2021年1月某日
某所

この記事をお楽しみいただけた場合、ワンクリックで任意の金額から支援することができます。

このリンク先でカートに入れた商品は、その売り上げの一部が commmon に還元されます。

また「誰が、何を何と同時に購入したか」は完全に匿名化されており、「何がいくつ販売されたか」以上の情報をこちらから確認することはできなくなっています。ご安心ください。