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溶けていく境界線と永遠のベータ版

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中垣:なんか今日さ、境界みたいなことについて考えてたのね

松田:はいはい。

中垣:例えば音楽を作りたいと思ったとすると、ひとつの曲として作り上げるのが一般的だと思うんだけど、別に作曲する本人的には、そこで仕上がったものに完全に納得できるとは思えないというか…

松田:はいはい。

中垣:要は永遠のベータ版的な発想からすると、一度完成した物も後からいくらでもアップデートしたいんだけれども、あくまである時点のひとつの形をもって曲として提示するしかないと。ここでいう境界っていうのはつまりそういうことで、いったん線を引くことで、そこには閉じたものができあがるわけ

エリック・リース(2012)『リーン・スタートアップ』日経BP
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この本の思想、僕は結構嫌い

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松田:はいはい。

中垣:そこで、そういうのってちょっと旧時代っぽいし、そういう意味での境界なんて要らないんじゃないか説と、でも逆に、その境界にこそ意味があるんじゃないか説っていうのがあって。

松田:はいはい。

中垣:もちろんまだ結論は出ていないんだけど、試しにTikTokで流れている音源と、普通の音楽と、あとヒップホップみたいなサンプリング音楽の違いについて考えていたのね

松田:はいはい。

c TikTokは禅への序章

中垣:で、例えば普通の音楽としてあいみょんの『マリーゴールド』を挙げるとこれはひとつの閉じた曲なんだけど、例えばこれがヒップホップなら、「実はこのドラムパターンは何から引っ張ってきていて〜」みたいなのが、ひとつの曲の中にもあるわけね。

松田:うんうん。

中垣:だからヒップホップの場合、ひとつの閉じた曲の中にもまた別のエッセンスみたいなものが、閉じた明確な要素として入ってたりするわけ。ここでは「あいみょんも作曲の過程で聞いた音楽に影響を受けていて〜」みたいな話はいったん抜きにして。

松田:はいはい、なるほどね。

中垣:ただヒップホップの曲も、それだけでひとつの閉じたものでもあるわけ。それで次にTikTokの音源やねんけど、TikTokにはある種コラージュ的な二次加工・三次加工された曲が上がっているわけだけれど、これがあいみょんとかヒップホップと違うのは、TikTokに上がっている曲っていうのは閉じることがないのね。再編集され続けて、それに名前がつくことはないわけ

松田:なるほど、確かにね。今ここで言っている「閉じる」とか「境界」っていうのはさ、いったんのところそれはそれとして、ひとつの全体として名前をつけるということやんな

中垣:そうそう。そうすることによって、それが対象として語れるようになるというか。

松田:一度境界が閉じられたものは、それ以上の改変を受け付けないし、それまでの改変も不可逆になる感じ。

中垣:そうそう、まさにそう。

松田:それでさっき言っていた、ひとつの閉じたヒップホップの曲の中にも、また別のエッセンスが閉じた要素として入っているっていうのは、TikTokの音源が進化していくような過程がその中には含まれているんだけれども…って話やんね。

中垣:そうそう。TikTokの音源って手法としてはサンプリングっぽくてその点ではヒップホップに近いんだけれども、でもヒップホップとは全然違うと思うねん。ヒップホップは結局境界を閉じている点で今までの音楽と同じなんだけれども、TikTokの音源の場合は境界が閉じられることがないし、引っ張ってきた元の音源がなんていう名前であったかさえ、ほとんどどうでもよくなっちゃってるわけやん

松田:うんうん。

中垣:例えばヒップホップなら、Aという曲とBという曲からサンプリングしてCという曲が生まれる場合、A・B・Cのいずれも閉じた境界を持っているわけ。

松田:はいはい。

中垣:でもそれがTikTokの場合、A・B・Cのどの境界もぼやっとしかしていないのね。一応それぞれのかけらをそこに見出すことはできるんだけれども、そのことには意味は無いというか…

松田:うんうん。

中垣:音源として上がってはいるから、そういう意味で一応の境界らしきものはあるねんけど、でも実質的には無いに等しいやん。これってすごくデジタルネイチャーっぽいなというか…

松田:うん、分かる分かる。

落合陽一(2018)『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』PLANETS
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デジタルネイチャーとは、生物が生み出した量子化という叡智を計算機的テクノロジーによって再構築することで、現存する自然を更新し、実装することだ。そして同時に、<近代的人間存在>を脱構築した上で、計算機と非計算機に不可分な環境を構成し、計数的な自然を構築することで、<近代>を乗り越え、言語と現象、アナログとデジタル、主観と客観、風景と景観の二項対立を円環的に超越するための思想だ。

Source: 落合陽一(2018)『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』PLANETS

落合陽一(2018)『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』PLANETS

中垣:それでよくよく考えるとさ、TikTokの縦にスクロールしていく感じって、動画ごとの境界もすごい薄くなってるやん。これがYouTubeならそうじゃないわけ。やっぱ境界が溶けてるなぁって思うねんな

松田:あー、確かにね。はいはい。

中垣:そこで問いとして…やねんけど、境界の閉じたひとつの作品を提示することの意味と、永遠のベータ版的な、境界が閉じずに常に進化していくことの意味について考えたいねんな。例えば曲にしたって、ver1.01みたいなのがあってもいいわけやん。「ここのドラムパターンちょっと変えといたんで、まあ聞いてくれてもいいっすけど…」みたいな。

松田:なるほどね笑

中垣:でも一方、アプリ・音楽・アート・洋服ってメモしてて思ってんけど、洋服って完全にフィジカルやから、ver1.01もくそもないわけよ

松田:それはもうマイナーアップデートになるもんね。「今年のフーディニはパターンが変わったよ」みたいな。

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フーディニほんま好き過ぎる

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中垣:そうそう。だから完全に有形な物って、永遠のベータ版的な思想とはちょっと相性悪いなとも思ったり。

松田:まあそれはそうやんね。

中垣:で、有形と無形の間にあるような…それこそ音源とかさ、そういうものにこそボーダーが溶けている感じが分かりやすく出そうだなというか、禅っぽくていいなというか…

人類みんなで十牛図を歩んでいるんだよ😉

十牛図 – Wikipedia

河合隼雄(2010)『ユング心理学と仏教』(〈心理療法〉コレクション V)岩波現代文庫
Image: Amazon.co.jp

河合隼雄(2010)『ユング心理学と仏教』(〈心理療法〉コレクション V)岩波現代文庫

松田:まあそうやんな。例えばフーディニなら、今年のモデルがアップデートされていようが、おれのモデルは古いままなわけやん。

中垣:うんうん。

松田:で、それよりも永遠のベータ版に近いものとしてはテスラ車があって、この場合ソフトウェアは勝手にアップデートしてくれるけどハードが変わることはないわけ。つまり、今手元にあるアウトプットとその元となったマスターとが常に接続されているようなものであれば、永遠のベータ版的なあり方をとるようになるんだろうなって

中垣:そういうことやんね。しかも、今は完全にバーチャルな物でしかそれはあり得ないと思うんだけど、それが徐々に、今のところ完全にマテリアルだと思われている領域にまで拡大していくという未来を落合陽一は見ているんだろうけど…

松田:うんうん。

中垣:だからたぶんやけど、iPhoneの傷がことさらに気持ち悪いのもそういうことやねんな。バーチャルな中身は常に最新なのに、マテリアルな本体は古くなっていくっていう。だからアップルのビジョンは、マテリアルなiPhoneを無くすことであるべきやと思うで。

勝手かよ

松田:笑

中垣:みなとはさ、ここまで聞いててどんな感じ?

みなと:なんかね…境界っていう言葉で指しているニュアンスとか、TikTokの音源とヒップホップの話とか、有形無形の話とか、それは確かにそうだなと思って聞いてたよ。

松田ここで言う境界っていうのはさ、要は言語的意味分節線のことやんな

中垣:そうそう、まあ最終的にはそこに繋げたいんだけど、今はまだそこまでたどり着いてはいないねんな。

みなと:あー、そういうことなのか。もうちょっと手前の話なのかなと思ってた。

松田:いや…まあ抽象度が違うだけで、名前を付けて境界で囲うことでそこに本質が凝固するという話としては、特に遠くない話やとは思うで。

井筒俊彦(1991)『意識と本質』岩波文庫
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計算機と不可分に統合され、感覚器を通じたインプットの限界を超えて意味分節が可能となった人類は、言語アラヤ識へと漸近していくのです。

井筒俊彦(1991)『意識と本質』岩波文庫

2021年3月10日
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十牛図
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悟りに至るまでを10枚の図で表した十牛図。真の自己を求める自己は牧人、真の自己すなわち仏性が牛で表されている。あるいは禅の言う、かつて山であった山が山でなくなり、しかし再び山となるまでを描いているとも言える。

十牛図 – Wikipedia