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エンタメ 思索

無謬性の克服について、エヴァを観て考えたこと

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以前エヴァンゲリオンについて話した内容を改めて確認したところ、わりといいことを言ってた箇所を見つけたので、遅れてではありますがお届けいたします。

松田:なんかヴンダーにおったピンクの女の子がさ、おしっこがどうのこうのって言ってたやん。

みなと:あー、水ね。

松田:そうそう、尿を処理した水みたいなやつ。あれに例えて、ニアサードインパクトを起こしたにも関わらずヴィレに参加してヴンダーに搭乗したシンジのことを、「誰のおしっこかも分からないこの再生水と同じ 清めれば済むと思ってる」って言ってたやん。これについてすごい思ってんけど…

みなと:うんうん。

松田:清めれば…済むんですよ。

みなと:うんうん笑

松田:清めれば済むねん。なんて言うのかな…おれはエヴァンゲリオンを、かなりの部分で『臨済録』との相似の中で理解しているんだけれども、その『臨済録』でも述べれらているように、今までどうであったかっていうのは全く重要じゃないのよ

入矢義高訳註(1989)『臨済録』岩波文庫
Image: 岩波書店

你且隨處作主、立處皆真。境來囘換不得。縱有從來習氣、 五無間業、自爲解脫大海。

你且く随処に主と作れば、立処皆な真なり。境来たるも回換すること得ず。縦い従来の習気、五無間の業有るも、自ら解脱の大海と為る。

君たちは、その場その場で主人公となれば、おのれの在り場所はみな真実の場となり、いかなる外的条件も、その場を取り替えることはできぬ。たとえ、過去の煩悩の名残や、五逆の大悪業があろうとも、そちらの方から解脱の大海となってしまうのだ。

Source: 入矢義高訳註(1989)『臨済録』岩波文庫

入矢義高訳註(1989)『臨済録』岩波文庫

みなと:そう、それはすごくそう。そこまでどうやって来たかとかこれまでの経緯とかみたいなものに言及して、それら全てが清浄でなければいけないみたいな思想ってすごく不健全だなと思う

松田:そう、そうそう。

太郎:うんうん。

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松田:それで『臨済録』でもね、これまでどれだけの悪行を積んできていても関係ないて言うてるのよ。ピンクの彼女は「清めれば済むと思ってる」って言って批判するけど、やはり清めれば済むねん。

知的に怠惰なやつのために補足しますが、清めれば済むとは言っても、それは十分なエクスキューズを通して不浄を清浄に上書きすることによってではなく、清浄と不浄の対立を超えた先で、その二元を成立せしめる主体となることによって達成されるものであり、つまり一番しんどいです。

“A” cannot be itself unless it stands against what is not “A”; “not-A” is needed to make “A” “A,” which means that “not-A” is in “A.” When “A” wants to be itself, it is already outside itself, that is, “not-A.” If “A” did not contain in itself what is not itself, “not-A” could not come out of “A” so as to make “A” what it is. “A” is “A” because of this contradiction, and this contradiction comes out only when we logicize.

Source: D.T. Suzuki(1996)『Zen Buddhism』Harmony

D.T. Suzuki(1996)『Zen Buddhism』Harmony

みなと:それとは関係ないってことだよね。

松田:そうそう。あとあのピンクの子はそれ以外にもさ、ニアサードインパクトを起こしたんだから、シンジはもうエヴァに乗るなって言うわけやん…でもちゃうのよ。

みなと:うんうん。

松田:その思想は、ゆくゆくはゲンドウに繋がっちゃうねんって。そういう無謬性への固執が、ゲンドウみたいな闇堕ちヒューマンを生み出してまうねん

みなと:うんうん。パーフェクションに対するこだわりというか…

松田:そうそう。そうではなく善も悪も一緒くたに飲み下す、そういうものとして人間を捉える勇気がないから、ゲンドウみたいなやつが生まれちゃうのよ。

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みなと:ピンクの子の発想がより大きくなっていくと、人間は全て穢らわしい存在であるっていう、そういう考え方に繋がっていくよね。

松田:そうすると、魂のコモディティ化が理想になっちゃうのよ。

みなと:浄化というか…いっそ全て漂白してしまえばいい、みたいなね。そうすれば苦しみも不安もないし

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松田:だけどそれはちゃうのよね。ここで人は、不浄即清浄というテーゼを、その内に矛盾はらまないものとして受け入れられるかが試されているのよ。これは確かに力量がいることなんだけれど、でもそれによって初めて乗り越えられるものはあるわけ。

みなと:うんうん、そうだね。そしてそれがある意味では、人類への期待というか、ポジティブな楽観というか、変なニヒリズムに陥らずに生きていくことに繋がるのかな。

太郎:うん。

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みなと:あと松田、なんかもうひとつメモしてたよね。

松田神は全てを受け入れるだけ…これなんやったっけ?

みなと:なんかゲンドウが言ってたよね、神は全てを受け入れるだけだとかなんとか。

松田:あー、そうそう。なんて言うのかな、これを聞いてちょっと思ってんけど…ゲンドウが目指していた神、つまりエヴァンゲリオンの中で克服された神っていうのは、人に一歩を踏み出させる神ではなかったよねっていう。

みなと:あー…そうだねそうだね。なるほどね。

松田:そこに来たもの全てを飲み込んで、恐ろしいことにはそれらを溶かして無差別化するような、そういう神だなと思ってんな。

みなと:うん、そうだね。これはさっき言ってた魂のコモディティ化っていうのとも近いと思うんだけど、ゲンドウが実現しようとしていた理想っていうのは、受容して安寧に残置するような、ただただそこに存在させるだけの、そういうものだなって思うな

松田:そう、なんか阿片窟ぽいよ。

嫁さんのマンガのすごいところは、マンガを現実からの避難場所にしていないとこなんですよ。今のマンガは、読者を現実から逃避させて、そこで満足させちゃう装置でしかないものが大半なんです。マニアな人ほど、そっちに入り込みすぎて一体化してしまい、それ以外のものを認めなくなってしまう。嫁さんのマンガは、マンガを読んで現実に還る時に、読者の中にエネルギーが残るようなマンガなんですね。読んでくれた人が内側にこもるんじゃなくて、外側に出て行動したくなる、そういった力が湧いて来るマンガなんですよ。現実に対処して他人の中で生きていくためのマンガなんです。 嫁さん本人がそういう生き方をしてるから描けるんでしょうね。『エヴァ』で自分が最後までできなかったことが嫁さんのマンガでは実現されていたんです。ホント、衝撃でした。

Source: 安野モヨコ(2005)『監督不行届』祥伝社

安野モヨコ(2005)『監督不行届』祥伝社

2021年11月6日
commmonの部屋