中垣:なんかね、
松田:笑
中垣:このあいだは日本の外食産業の始まりについて調べてん。
ここからは「検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です」との表記があるWikipediaの記事をソースにお送りいたします
松田:へー。
中垣:お茶屋さんって言っても最初は寺社仏閣でやってたらしい。そこで茶と小料理を出すっていうのが、室町時代くらいに始まってて。
松田:へー、そのときって貨幣ってどうなってたん?
中垣:あったんじゃない?
松田:あのめっちゃ錆びた、しけた感じのやつ?
中垣:そうやんな、どういうふうに支払ってたんやろ。
松田:まあ寺社仏閣やからな、なあなあでやってた説はある。
どういう寺社仏閣観…
中垣:で、次に飯屋っていうのが出てきてんて。それは江戸時代初期くらいやねんけど、まだ肉とか魚は無くて、
松田:笑
中垣:で、江戸時代後半以降になると、寿司天ぷら蕎麦が出てきたみたい。
松田:その寿司天ぷら蕎麦はさ、最初はお母さんが家で作ってくれる料理として生まれたもんなん?
中垣:そう、おれもそれが気になってんねん。そもそもみんな家で飯作ってきたのに、なんで外食が必要なん?って。ただ
松田:あー、なるほど。
中垣:あと読んだのは、
中垣:でも江戸時代も後半になると、外食は娯楽の一種になってるねんな。で、
満たす欲が間違ってる料亭
日本最大級の遊郭の建物が今も150軒以上残る「飛田新地」に行ってきました – GIGAZINE
松田:そうやね。
中垣:ああいうふうに当時の飲食店っていうのはそういう娯楽とも密接してるから、そこでは悪いことも起こるわけ。
六本木ってことですね
松田:はいはい。
中垣:そういう大事な役割も担ってたらしい。で、そこから外食産業だけ独立して発達して、だんだん普通なものになっていった歴史があるみたい。
松田:へー。
二回目
中垣:それはやっぱそうじゃない?
松田:じゃあ他のメニューはどうなん? だって煮物とおひたしが好評を博す意味が分からんやん。家ではそういう料理は出てなかったん?
中垣:そうやんな。
松田:映画館のポップコーンくらいのものじゃないとさ…
中垣:確かに。でも最初は家庭料理の延長ちゃん?
松田:まあそうなんかな。
中垣:でも寿司はちゃうやん。天ぷらも家で作ってたとは思えないよな。
油の分別めんどくさいしな
松田:
現代のタピオカミルクティーとかクレープに相当する
中垣:蕎麦とかもな、あんなん自分では作らへんやん。
松田:でもじゃあさ、蕎麦屋ができるまで、その辺に自生してる蕎麦はポテンシャルを見出されずにいたってこと?
確かにまあ、ポテンシャル高そうではない
中垣:そうやんな。
松田:あー、じゃあそうか。城に仕えてた料理人が町で開業したんが始まりか。
中垣:そういう可能性はあるよね。
松田:うーん、夢ある話やな。
中垣:夢あるよね。
松田:そう言えばあの話は? 中垣が前に言ってた、
蕎麦屋のメニューの変遷を追う
中垣:あー、あれね笑 なんやったっけ…
松田:うんうん。
中垣:で、
松田:そうそう。その流れでカツカレーか。
中垣:そう、それでカレーも食べられるようになったっていう。
松田:そうやね笑 じゃあさ、
中垣:カレーの次やんね。
松田:まあ別系統の進化でもいいけど。
中垣:
松田:笑 まあ確かに。粉練って作るって話ではどっち一緒やんな。
全国のそば職人さんナン職人さんごめんなさい
松田:でもナンってさ、焼くのに結構特殊な窯がいるやん。
DIP RASNA(ディップ ラスナ)|明るいネパール人家族が振る舞う本格インドカレー – 吹田日和
中垣:あー、そっかそっか。
松田:他にカレーと親和性高いもんって何やろう。
中垣:
松田:ちゃうやん、
中垣:カレー作るのにさ、じゃがいもとにんじんはいるわけやん…
松田:あー、確かに。
中垣:じゃない? 普通にいけそうじゃない?
松田:出汁もあるしな。
中垣:まあでもそれより普通に麺茹で路線で、つけ麺とか出すんが早いけどね。
富士そばが既にラーメン出してんだよね
松田:それやとつけ麺屋と競合しちゃうからさ。
中垣:じゃあやっぱり、そば屋は肉じゃが出すべきやんね。
松田:でもさ、あったら食う?
2020年7月3日
Aux Bacchanales 紀尾井町