松田:感謝祭の2日目のド深夜に、ちさとに
なつき:笑
松田:別におれ陽キャだなんて言ってへんし、躁であることも自覚していたし、なのになんでそんなこと言うん?とか思って。
中垣:笑
松田:ほんでさ、前に陽キャと陰キャの話あったやん。
中垣:六本木のパリピのやつやんな。その場での振る舞い方が分かってるかどうか、みたいな。
松田:そうそう。六本木のパリピもビバリーヒルズのプライベートパーティーに放り込まれたら陰キャと化して死ぬってやつ。
中垣:うんうん。そういう話やったね。
松田:これをもうちょっとちゃんと考えたいなと思ってさ。
中垣:うん。
松田:陽キャと陰キャに加えて、躁と、あと圧倒的主人公っていうのもいい感じに位置付けたいねん。だって置かれてる状況次第っていうけど、それだけじゃなくて、その状況へのスタンスについても言い得ることはありそうやん。
中垣:うんうん。
松田:この話が出たほんまのほんまの最初、大学のテラスで話してたときは、参照先の話やって言った気がするねん。
中垣:参照先やねんけど…別に陰キャもさ、見かけ上の参照先は外側なわけやん?
松田:うん、そうそう。
中垣:なんやけど…これがピュアに外を参照するのであれば研究とかに近いというか、「やってみよ、違うかった、じゃあ次はこうしよう」みたいなわけやん。
松田:うんうん。
中垣:そういう気持ちで人とコミュニケーションをできるっていうのが、参照先が外ってことやんね。それが内向きっていうのは…もうちょっとこう、どういう感じなん?
松田:ここでの内を参照するっていうのは…
中垣:うん…うんうん。感覚的には分かる。
松田:で…いったんそこは保留して話を続けると、圧倒的主人公についても考えててん。
中垣:うんうん。
松田:で、こいつにはたぶん、さっき言っていたような内側っていうのが無いねん。最も理想的な主人公、世界の中心におるやつには内側が無い。
中垣:はいはい。まあなんとなくは分かるけど…
松田:どこを見ても、
你且隨處作主、立處皆真。境來囘換不得。縱有從來習氣、 五無間業、自爲解脫大海。
你且く随処に主と作れば、立処皆な真なり。境来たるも回換すること得ず。縦い従来の習気、五無間の業有るも、自ら解脱の大海と為る。
君たちは、その場その場で主人公となれば、おのれの在り場所はみな真実の場となり、いかなる外的条件も、その場を取り替えることはできぬ。たとえ、過去の煩悩の名残や、五逆の大悪業があろうとも、そちらの方から解脱の大海となってしまうのだ。
Source: 入矢義高訳註(1989)『臨済録』岩波文庫
中垣:それは犬猫とは違うん?
松田:犬猫は…世界を相対化できていないのが違うな。
c 二種類の認知の膜
中垣:あー、そういうことか。
松田:それはこう…一度相対化した世界を、自分を中心に再度統合してる感じなんちゃうんかな。
中垣:あー…うんうん。
松田:おれが言いたいのはさ、主人公って主客の分離なさそうやん? あれが陽キャの究極なんじゃないかって。
中垣:うん、分かるよ。具体的に誰っていうのもすごく思い浮かぶし…たぶん分かりそう。でも内が無いんやんね? そこで言う内っていうのがやっぱり分かりにくいねんな。
松田:まあそうやんな。なんやろな…
中垣:例えば妄想というか、「こう言ったらこう言われるんじゃないか」みたいな、こういうのって内やんね?
松田:そうそう。
中垣:うんうん…
松田:世界からは不可侵なこちら側やな。そこに持ち帰って、
中垣:あー…分かった。なんかこれまでいろんな話を通して言ってたのはさ、私と世界との間にあるボーダーをなくせばいいんじゃないかって話やったけどさ、そもそもこちら側は原点でしかなくて…
松田:あー、そうそう。
中垣:
松田:そう、ほんまそう。
部分たる私が、それと矛盾することなしに全体に同一化するのです。
松田:自分への興味が捨てきれていないって言うときに問題になっているのって、自分についての視野があまりに狭いことだというか…例えば相手が恋人とかもっとも親しい友人とか家族とかであれば、その相手のことに、ほとんど自分のこととして興味を持てるわけやん。そこでは、自分に興味を向ける代わりに相手に興味を向けているという意識はないやん。
なつき:うんうん。
松田:そのときって…なんやろう、自分という存在の外縁部がその辺りにまで延びている感じがあるというか。
なつき:はいはい。
松田:要はそれが自分ごとになっている…そう言うとちょっと分かりやす過ぎる気はするんだけど、でも結局そういうことやと思う。つまり利己的であることと全く対立しない形で利他的になれているわけやん。そういうふうに自分を中心に、自分からもっとも近い部分から自分の領域を拡大して、より広い範囲を自分のことだと思えるようになれればいいよねっていう。
Source: commmon
中垣:FPSの気持ちっていうかね。
松田:うん、でもそういう感じやと思う。そういう認識を持てたら
中垣:そうやんね。
松田:だからやっぱ陰キャはクソやで。
来世で頑張ります!!!
中垣:うん、確かに。まあ子供の頃の感覚ってそれに近いけど、やっぱ世界を相対化できてないっていうのが…って話やんね。
松田:そう、
中垣:うんうん。
松田:それに子供には親がおるから「すみませんうちの子が」って言うてくれるわけ。
幼い頃「なんでお前が言うてんのおれの問題やねんけど」って思ってた
中垣:うんうん…
松田:あー、なるほどね。
中垣:おれが思い浮かべたのは岩井さんやね、浪人してたときのおれらのボス。なんかもう異次元やねん。
松田:笑 確かにそうなってくると相対化とかじゃないな。
中垣:そうやねん、あの人はたぶんそんなこと考えたこともないと思う。
松田:でもまあ彼はそうだとして…
中垣:そこやんな。まあ可能と信じるしかないねんけど。
松田:うん。
中垣:でも可能やとは思う。具体的な話で言うと
松田:うんうん。
中垣:おれは3Dアーティストの名前は一人も知らんし興味も無いけど、これが大事やねん。ここに関して音楽では大失敗をしてんな。
松田:笑
中垣:自分は結構音楽を知っている、世の中におるDJと呼ばれる人の7割よりはおれの方が詳しいと。そういう自負があると…できひんねん。
松田:なるほどね。
中垣:いくら音楽に詳しくても、DJとしてはそいつらの下に立つわけよ。そこにわざわざエントリーするか?っていう。これが批評家とプレイヤーみたいな話で、世の中では大抵の場合はプレイヤーより批評家の方が知識はあるねんけど、でも批評家はプレイヤーではなくて、何もできないねん。で、批評家はいつでもなれるねん、知識さえあればいつでもなれる。でもプレイヤーはそこの恥を捨てる覚悟がないとできなくて、で、そこの恥って若いうちはあんまりないから、やろっかなって思ってすぐできちゃうわけ。
Source: commmon
Problem:
Ever since you started getting “serious” about your music-making, you’ve secretly started having less fun with it. You (vaguely) remember a time when you didn’t feel this way; when you had no aspirations to be a professional, making music was always a great way for you to relax. But now that you’ve become concerned with “success,” your sense of childlike joy at just making sounds has disappeared and has been overtaken by your desire to finish songs— or even scarier: get famous.
Source: Making Music book by Ableton
Thinking Like an Amateur – Making Music book by Ableton
中垣:でもこれもスタンス次第でどうにでもなると思うねん。やり方次第で、
松田:なるほどね。
中垣:もちろんいきなり全部は無理やと思うで。だから、今から音楽について子供の気持ちになるのはいったん保留。でも部分的にそういうことを実践するのはできると思うねん。
松田:それをやってるうちに…ってことやんね。
次回に続きます。
2022年5月8日
赤坂の部屋
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