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人生 思索

ペットと子供の違い

自分中心の世界観を持つ二人が、エゴくて乱暴なペット観・子供観を振り回しました。

4 years

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白濱:ペット飼ってて思うんだけど、結局頭のレベルが人間より低いから…なんか「物」って感じなんだよね

カメレオンとかレオパとか飼ってる

松田:はあはあ。

白濱:命としては尊重するけど、あくまで管理するものであって、友情が期待できるようなものではないなって。自分のスキルとか所有物と同じで自身を拡張はしてはくれるけど、関係性を結べる対象ではないなと思う。

松田:うんうん。なんかあれですよね、「繊細に扱うことが必要とされている物」って感じですよね。iPhoneは落としたら割れるから気を付けなあかん、みたいなやつと程度がやや違うだけな気がする

c ゴリラガラスの製法

白濱:いや、ほんとそうだね。ただ一応生き物だし、それに爬虫類なんて懐かないから、向こうから見ると人間に飼われるっていうそれ自体がデメリットなのね、そもそも。

松田:笑

白濱:つまり僕のエゴとしてここに存在しているわけだから、こいつらの理想の飼育環境は整えなければいけない、っていう義務感はある。

松田:はいはい。

白濱:で、その義務感の中でいろいろ試行錯誤しているんだけど、なんか結局、全部定量的にこなせちゃうんだよ。週一の餌とか、カルシウムがどれくらい必要とか、温度湿度がどれくらいとか。そう考えるとやっぱり管理の対象なんだよね。

松田:iPhoneを充電するのと同じですね。

こういう例えも可能だという提案であって、僕の意見ではありません

白濱:そう、本当にそう。防水機能がついてないから水に落としてはいけない、そういう感じ

松田:でもじゃあ、なんでいろいろ飼ってるんですか?

白濱:まあそもそもは関係性を結びたいというよりは、研究者eyeというか、観察の対象としておもしろいというか、そんな感じで飼ってるのかな

松田:あー、はいはい。前にcommmonでペットを買う理由について話したとき、秩序だった生活の中にちょっとした無秩序を導入することで、それがホワイトノイズみたいに効くんじゃないかっていう話があったんですけど…

c ペットとPepperくん

白濱:あー、それはあるかもね。それで言うと、そのアンコントローラブル度合いは、植物、熱帯魚、両生類爬虫類、鳥類、哺乳類の順で大きくなるんじゃないかと思うのね。

松田:はいはい。

白濱:だから犬猫を買うとかってなると、今よりもっとノイズが大きくなって、それは僕が今爬虫類に求めているものとは違ってくると思うのね。

松田:はいはい。

白濱犬とか猫はもう「家族…!」って感じになりそうだけど、そこには価値は見出さないから飼うっていう意思決定にいたらなさそう。「人間でよくね?」とか「そもそも関係性とかいらんわ」とか。

松田:笑 でもそういうグラデーションを想定すると、僕からしたら爬虫類飼うのもよく分かんないですし、犬とか猫なんて一生飼わないですね

白濱:笑

松田:一方でもちろん、ずっと以前に花瓶に花を挿す習慣があった時期があるんですけど、そのときは毎日水を替えて、一週間の間に花が開いていくのを見て楽しんだりはしてたので、質的に全く分からない話ではないです。

白濱:あとは管理の対象だから、思うように動かないとムカつくんだよね。前にカメレオンを病院に連れて行って一万数千円とかかかったんだけど、そんなの関係無くカメレオンって馴れないのよ。

ホステスに「そろそろヤらせろ」って言いそう

松田:笑

白濱:レオパを初めて飼い始めたときでさえ「これで馴れんの?」って思ったのに、カメレオンはその比じゃないの。もう魚とか昆虫とかと一緒だよ。薬飲ませるためにケージから取り出そうとしてるのに威嚇されるとか意味分かんないじゃん

松田:笑

白濱:そうなるとやっぱムカつくんだよね。それに対して「生き物なんだからそれは当然でしょ?」みたいに反論されたとして、でも僕はムカつくんだよね。

とにかくムカつく

白濱:この話をもっと広げると、自分の子供が反抗期になったとき、子供は管理の対象だっていう認識でいるとムカつくと思うんだよね

松田:まあそらそうでしょうね。

白濱:反抗期っていうのは、絶対的な存在であった親も一人の人間であると認識して、神としての親を殺す作業なんだと思うんだけど…

松田:はいはい。

白濱:一方親にとっても、それまでペットだったベイビーを一人の主体として認識して、幻想としての子を殺さなきゃいけないんだろうなと思って。でもそうなると、自分の金・時間・心の負担というコストを払ってまで子供を養う理由って何があるんだっけ?って最近考えてる。

松田:笑 それ、もっとも身近な社会たる家族に対して、十分な同一化ができていないっていうだけの話なんじゃないですか?

c 二種類の認知の膜

白濱:あー…そうね。でもそこに自己同一化しなければいけない理由はなんなの?

松田:いや、別にしなけりゃいけないってもんでもないですよ。それが嫌なら子供持たんでもいいんじゃないですか?

白濱:まあね、僕は子供がすくすく育つ優しい家庭みたいなのを持ちたいから子供はつくるけど、でも僕の納得のために一応整理しておきたい感じ

松田:まあまあ。

白濱:まあつくってみないと分からないところもあるとは思うけどね。…でもだって、金・時間を注いで育ててるのに「お小遣い少ない」とか文句言われたら「殺すぞ」って思わない?

松田いや、僕は思わないですよ笑 てか相手は自分の子供でしょ、思い通りにならないからってフラストレーションたまるってどういうことなんですか?

白濱:それは幼少期から一主体として見ようと思ってるからじゃない?

松田:うん、それはそもそもそうですよ。

白濱:もちろん僕も子供ができたら絶対に一主体として見ようとは思うよ。けどとは言え、手間がかかる3歳児のときとかは実質的に管理対象になるわけじゃん。

白濱:だから、管理対象から一主体へと認識を切り替えるタイミングはあるはずで、そこをどう整理すればいいかの道筋が欲しい。まあ考えれば分かることだとは思うんだけどね。

松田:うーん。

白濱:あと一主体としての他者という話になると、それこそ僕と松田みたいな関係性もあるわけなんだから、そことの比較も…つまり松田と話すのと子供を育てることが比較対象になってくるわけで…

松田:笑

白濱:それはちょっと考えたいなって。

松田:まあそういう話になるなら、子供なんてつくらなくてもいいって考え方は全然あると思いますよ。自分という個体が死んだ後の人類という種全体にコミットする手段としてなら、別に子供じゃなくてもいいわけじゃないですか。後進を育てるなり、あるいは他人に対しての直接のはたらきかけでなくても、自分という個体より長く持続するビルを建てるなり、絵画を描くでもいいわけで。

c 子供を作る意味

白濱:確かに確かに、なるほど。

松田:そういう観点から見ると子供をつくることは、今言ったことのみを目的とした手段としては、必ずしも必要十分ではないのかなとは思いますよね。

白濱:うーん。ただ結局のところ、子供を育てるという営み自体が楽しそうだなとは思うし…

松田:うん、それは間違いないと思いますよ。

白濱:それくらいの話なのかな…

それでいいと思います

2020年11月3日
Aux Bacchanales 紀尾井町

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