中垣:もうひとつ話したかったことがあるねんけど…
松田:はいはい。
中垣:ちょっとそれのアップデートじゃないけど、
松田:はいはい。
中垣:まず認知の膜について改めて話すとやねんけど、これは
「外側の膜」と「内側の膜」は、それぞれ「世界の膜」と「私の膜」とも言い換えられ、そこの表記は特に統一していません。適宜読み替えながら読み進めてください。
みなと:うんうん。
中垣:ほんでもうひとつ、その内側にも膜があって、この内側の膜っていうのが「私」をあらわすねん。表皮と一緒でその中が自分やねん。もちろんこう言うと「じゃあ肉体的な表皮がまさにそれじゃないか」ってなるねんけど、そうではなくて、例えば赤ちゃんのときは、服にケチャップをこぼしても自分で拭いたりはしないわけやん。
松田:うんうん。
中垣:赤ちゃんはそのままほっとくわけ。自分の知っている世界で起こった出来事として認知はしてるから、汚れたことを嫌がって泣くかもしれん、けど拭こうとはしないわけ。自分の認知している世界の中での出来事ではあるけど自分のことではないから、自分で拭いたり対処したりするものではないわけよ。でもこれが大人なら、自分の服になんか付いたら自分事として拭いて終わりなわけやん。
Source: commmon
c 二種類の認知の膜
中垣:そうしておくと…例えば禅マスターにとっては、世界を表す外側の膜は無限遠方にあって、かつ自分を表す内側の膜も、その無限遠方でピタッと接していると言えると。
松田:うんうん。
松田:禅マスターの場合は、無限遠方にある世界の外縁部分で「世界の膜」と「私の膜」が一致してるんやんな。私と世界が一致していて、かつそれが世界の現実的で物理的な広がりとも一致している。
中垣:そう。禅マスターのそれはもう宇宙といってもいい。
松田:宇宙と言ってもいい…!
ちさと:笑
Source: commmon
中垣:で、
松田:はいはい。
中垣:ただそれだけだと認識できている世界があまりに狭いから、結局は犬畜生のそれだよねと。
松田:うんうん。
中垣:で…これはおれの仮説でしかないけど、ティーンまでの間に外側の膜は爆発的に広がっていく、つまりどんどん物事を知っていくわけ。
みなと:うんうん。
中垣:それでその後に、それに追いつくように段々と内側の膜も広がっていくんだけども、その程度はその人次第であると。
松田:はい。
中垣:それで内側の膜、つまり私の膜についてもう少し具体的に言うと、
みなと:うんうん。
中垣:あとは松田の言ってた例がすごい良かったと思うねんけど…
松田:あー、はいはい。
それがなんであれ何かに不平不満を感じるとき、その裏には、その不平不満の対象が自分にとって解決可能な課題ではない、あるいはその課題は自分以外によってのみ解決され得るという、一種の自己効力感の不足が存在していると思います。
Source: commmon
例えば机の上からペンを落としてしまった場合、その事態に対して極端な苛立ちをおぼえる人はおらず、黙って拾って仕事なり読書なりに戻る人がほとんどだと思います。これはその事態がごく些細なものであり、その事態の解消にあたって自分が十分な能力を持っているという認識がある、つまり十分な自己効力感があることによるものです。
次に、これよりもう少し危うい例として、綿棒をケースごと床に落として中身が散乱してしまった場合を考えてみると、先ほどのペンの例と比べて苛立ちの程度や腰の重さがより強いことが予想されると思います。その事態の解決にあたっての手間を考えると、もちろんこれも当然のことです。それよりさらにひどい例としてはファンデを落として粉々にしてしまったなどがあると思いますが、ここで言いたいのは、事態が自分にとって容易に解決可能であるかどうかと、その事態に対する不平不満の強さというのは、おおよそ反比例の関係にありそうだということです。
このように、世界は自分を中心にそこから(物理的にも精神的にも)離れるにつれて、制御可能で十分な影響力を及ぼせる領域から、制御不可能で自分とは関係なく自律的に展開している(と思われる)領域までのグラデーション、言い換えると自己効力感を持てる領域から全く持てない領域までのグラデーションを描いて存在しています。このうち、最も自分に近く十分な自己効力感を持って積極的に働きかけられる領域が精神発達につれ拡大していくのではないかというのが、「私の膜」の要旨です。
中垣:そうそう。だからそういう意味でいくと、
みなと:うんうん。
中垣:まあそういう話を当時しててんけど、言うてもこれ、いまだに結構いいんじゃないかと思ってるのね。それでスポーツ、特にランニングみたいなゾーン系のスポーツについてやねんけど…
松田:インナー系スポーツね。
フットサルとか、そういうのじゃない系
中垣:そうそう。
みなと:うんうん。
中垣:その上ひいては、
松田:あー…
中垣:そういうふうにして強制的にフィット感を得るみたいなところがあるんだろうなと、そう思ったわけですよ。
松田:そうね…私の膜が世界の膜と一致するのはこれは分かるねんけど、そこからさらに、一致したまま押し広げていく感じがあるっていうのが、分かったようで分かってない気もするねんな。
中垣:なんやろな。例えばこの前の自転車で山を降りてたときとかって、
@オーバカナルの裏山
松田:あー…そうやね、確かにそれはそうやな。世界の膜が広がった瞬間に自分の膜がそれについていっているというか、
みなと:あー。
松田:うん、しっくりきたわ。
みなと:あとはあれだね、前のダンスとかもそんな感じだったわ。
中垣:あー、そうやね。
日頃の言語偏重を反省し代々木公園でTikTokで流行りのダンスを練習した黒歴史回があってですね…
松田:確かに。
中垣:だから…
松田:そこに今まで知らなかった世界があることを認めているという感じは確かにあったね。
中垣:そうそう。「これはなんや…?」と思いながら、先にどんどんインプットがやってくる感じ。
松田:うん、確かにな。じゃあやっぱ身体を動かすのってええんやね。
中垣:めっちゃいいよ。ただまあ、特効薬でしかないとところはあると思うけどね。あとは別にスポーツじゃなくても他にもいろいろあると思ってて、例えば
みなと:うんうん。
松田:確かに、車での旅行はそれありそうやな。
中垣:だってどんどん知らん景色が広がってくるねんし、
松田:おれさ、小中学生の頃に自転車で旅行してたの、すごいその感じやったわ。
中垣:うん、乗り物ってやっぱそうやんね。
松田:自転車に乗ってるときは世界を征服していってる感じがあったもん。あれはもうアレクサンドロス大王ですよ、ほんまにそういう気持ちやった。
中垣:笑
みなと:なるほどね。
中垣:でも幼少期って何をしてもその感覚になれるやん。外側の膜が狭い分、それが広がるのは具体的なアクションを通じてでしかなくてさ。
みなと:うんうん、そうだよね。小さい頃は外側だけバーっと広がっていくのってあんまり考えられないよね。
中垣:ただそれが一定程度広がると、
松田:受験勉強をすると、これはもうあかんね。
中垣:やっぱそこやんね。そこだけ広げていく方法を覚えちゃうんやね。
松田:だから理想は、偶然とかによって最終的な結果が当初の想定からずれたとき、どうしたら想定通りになったんだろうっていう反省はきちんとしながら、とは言え結果は結果として受け入れることができればいいですよね。
コトハ:そう、そうそう。
松田:で、それができないのが僕らなんです。自分の手で何かを作るのが本当にできないんです。
コトハ:うんうん。
松田:それがなんでかって…最初にゴールを描いてそのための手順をきっちり組むんですけど、そもそも想定さえできていない何かもあれば偶然起こるトラブルもあって、当初の想定通りにゴールすることはまずないわけですよ。
コトハ:うんうん。
松田:このとき、なまじ当初の想定がしっかりしてるから、そのギャップにどうしても耐えられなくて…
中垣:「やーめっぴ」ってね笑
松田:そう、その結果何も作れなくなりました。
中垣:元々は手を動かして何かを作るのはすごく好きだったはずなのに…
Source: commmon
松田:世界の膜だけ勝手に広がっていってまうねんな。
みなと:うんうん。
中垣:だからそういう意味でいくとね、これ前にも言ったけど、参考書とかで似た問題を大量に解かされるやつ、あれ嫌いやったけど、でも意味はあると思うねん。
松田:はいはい。
中垣:チャプターの最初で伝えられる定理とか例題とか、あんなん何の意味もないねん。
みなと:うんうん。
松田:うん、あれはそういう感じがすごくあったな。
中垣:実際あれするだけでテストの点数は取れるねんけど、でも逆に、あれをせんかったら点数は取れないわけ。
みなと:そうだね笑
このサイト、高校生に刺さるまでありますね(ない)
中垣:やっぱそういうことやねんな。だからまあ、そこがキチッと一致したまま世界が広がっていくような何かに注力すべきなんだろうと思うな。
松田:うん、そうやんね。でも最近の中垣が自転車にはまってる感じとかはまさにそんな感じやん。
中垣:うんうん。あとは例えば
松田:はいはい、それはあると思う。
中垣:だって
みなと:確かにそうだね笑
中垣:あとは…例えば
松田:うん。
中垣:
みなと:うんうん。
中垣:だからそういう読み方しかしてない人やと、『禅』とかは読めないよね。
松田:確かにね。てかおれが
中垣:うんうん。
松田:「…だから何?」ってなっちゃう。
中垣:それは分かるわ。なんか…どこまでもよその話やもんね。てかさ、松田が雑誌を嫌いなのってその説ない?
松田:あー…いや、確かにちょっとある気がするな。なんかどこまでいっても他人事にしかならへんねんな。これが例えばSSENSEなら、ログインしてブランドなりカテゴリを絞り込んだ時点でこっちからアプローチしてるから、単なる事実ではない自分事として情報が入ってくる感じがあるねんけど、雑誌はどうしても「あ、そうなんですね…」くらいの気持ちにしかなられへんねんな。
中垣:まあ松田にとっては不要な情報になったってことなんじゃない? 昔なら別に、血眼になってカジカジを読んでたわけで。
松田:確かに。
当時は服に興味があることは分かっていてもその焦点がより明確ではなかったから、とにかく服に関係あるものであれば全て自分事だった一方、現在は服への解像度も高くその焦点も明確なので、ざっくりとファッション雑誌と言われても「大味かよ」となっちゃう、そういう説です。
中垣:でもさ、
みなと:うんうん。
中垣:例えば松田がスタバで本読んでたときの感覚って…そんなスラスラは読まれへんわけやん。
松田:うんうん。
中垣:それこそウンウン言いながら読む感じになるとは思うねんけど…どういうふうに読んでたん? 読んでたときの感覚というか、あるいは読むスピードとか。
松田:読むスピードはそら遅かったし…
中垣:ふーん。
松田:抽象的なことが書かれているのならそれを自分の知っている具体と結びつけるし、具体的なことを言っているのであれば自分の言葉で抽象化して…って感じで。
中垣:うんうん、なるほどな。あとなんか、最近ネットサーフィンしてて思うのがさ、例えばこの前の東浩紀のインタビューあったやんか。あれおれからおすすめしてんけど、おれは半分くらい読んで「続きは後で読もう」と思ってタブを開いたま放置しててんな。
松田:はいはい。
【楠木】インターネットの時代になって、情報材を扱うB to Cの商売の実態は、ほとんどの場合、広告業もしくは販促業です。広告業の生命線はユーザーの数です。これはラジオやテレビの時代からまったく変わっていない。見ている人がたくさんいるほど、プラットフォームとしての価値が高まり、広告主を集めやすくなり、広告収入が得られます。どうしたらユーザーの数を集められるか。いちばん手っ取り早いのはタダにすることです。こうした成り行きで、「ネットの情報はタダ」が当たり前になりました。
とにかくスケールさせなければならない。しかし、ユーザーから直接カネは取れない。十分な規模に至るまでには時間がかかるので、情報サービスのスタートアップ企業の多くは、まずは「赤字を掘る」ことになる。それはそれで一つの手口なのですが、赤字を掘ったその先にきちんと商売が成り立つかどうか、長期利益につながる首尾一貫した戦略ストーリーがなければいけない。
筋の通った戦略もなく、集めた原資をひたすらプロモーションに投資し、漠然とした楽観にもたれて目先のユーザー数を伸ばすことにかまける会社が多いですね。広告で儲けようとしているのに、自分が広告費を払う側に回ってしまっている。揚げ句の果てに、一定のユーザーを集めたところでどこかに事業を売却して、手じまいにする――これを最初から目的としているフシがあるスタートアップも珍しくありません。
私に言わせれば、これは商業道徳に反しています。しかし、当人にその意識はない。それどころか、「先端的」なことをやっていて、称賛される価値があるとさえ思っている。ずいぶん規律が緩んでいると思いますね。
Source: PRESIDENT Online
何でも無料のインターネットは、「商業道徳」を無視しすぎている – PRESIDENT Online
c いいと思うのなら対価を払え / いいと思うのならタダにするな
中垣:それで結局は最後まで読まんかってんけど…それがたぶん、自分にとっての賞味期限やったんやろうなってすごい思って。
松田:あー、はいはい。
中垣:
松田:うんうん。
中垣:それはどんな情報でもそうで、おれは結構タブを開いたまま放置しちゃうタイプやねんけど、そうやって放置されているタブにはたぶん何の意味もないねん。タブを開いて読み始めて、「続きは後で読もう」と思った瞬間がもう終わりやと思うねん。
みなと:なるほどね。
一生これ
Googleクロームでタブを99個以上開くとどうなるの!? – SMATU.net
中垣:最近そのことに薄々気付きつつ、でもまだやっちゃうねんけどね。でも、
松田:それはまあそうやな。
外側の膜だけ広げる行動、全てにおいてなんかセコいというか、手前の人生を素手で掴む勇気はないくせに選択肢だけはたくさん確保しておこうという態度の表れな気がしますね。
松田:てかさっき言われてからちょっと考えてたけど、おれが本を読むときの気持ちって、そば食うときとかバゲット食うときの気持ちに近いかもね。
中垣:あー…
松田:こういう香りがするとか、
みなと:あー、なるほどね。
中垣:それ食事でやってんのってやっぱ独特やな。
松田:でも確かにそうやねん。別におれはそばとバゲットが好きなんじゃなくて、そばとバゲットはそれがしやすいから好きやねん。つまりどこでも同じ形で出てくるし、何を比較すればいいかも分かりやすいやん。
どこで食べても見た目や構成が同じで、どのお店も同じ価格帯で勝負するしかないメニュー、他にあれば教えてください
c お問い合わせ
みなと:笑
中垣:松田さ、音楽ではそれせんやん? 基本的には耳が気持ち良い音楽が好きやろ。
松田:うん、それはそう。
中垣:おれにとっては食事がそれで、逆に音楽は松田にとってのそばやねん。
中垣:もちろん、いわゆるええ食事が美味しいのは分かるし、頭で考えたらその複雑さを楽しむこともできるねんけど、おれの偏光板は最終的には純粋に味覚的な経験しか通さないねん。「はい王将の勝ち」みたいな。
Source: commmon
松田:あ、なるほどね? それすごいしっくりきたな。
中垣:そうやねん。
2021年5月19日
Clubhouse
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このリンク先でカートに入れた商品は、その売り上げの一部が commmon に還元されます。
また「誰が、何を何と同時に購入したか」は完全に匿名化されており、「何がいくつ販売されたか」以上の情報をこちらから確認することはできなくなっています。ご安心ください。
オーバカナルの裏山で中垣の自転車に乗る河東。友達が中古で買って少しづつカスタマイズしている自転車で身近な自然を駆け巡る様は、「私の膜」と「世界の膜」を、両者の乖離のないまま拡張していくまさに理想的な姿である。
一方 commmon には、走行距離が10kmにも満たない、一度も外したことのないカプラー付きの、アルミ削り出しパーツを多用した自転車を持て余す人もいるわけで…