今回は本当に文字数が多いです。断定的なステートメントがあるタイプの内容でもないので、ぜひ一緒に悩んでください。
松田:
中垣:はいはい。
松田:まあ普通の話っちゃ普通の話やねんけどな。例として、おれが自分にとってこれこそはと思う本について考えたとき、三冊挙げるなら鈴木大拙の『禅』と井筒俊彦の『意識と本質』と、あと『臨済録』になるねんけど…
この三冊に限っては欲しい人には買ってあげるよ
中垣:うんうん。
松田:この三冊のうち『意識と本質』はまあタフな本やからいったん置くとして、
中垣:うんうん。
松田:でもそこまで読んだ『臨済録』やねんけど、
中垣:あー。
松田:例えば『禅』とかやったら、当時の興味の文脈に合う内容を期待できるだろうっていう、そういう目的意識があって手に取ったって感じやねんけど、『臨済録』は完全にたまたまやったわけ。
中垣:『臨済録』を手に取る前に禅に興味を持ってはいたん?
松田:もちろん既に禅に興味はあったよ。ただ
中垣:あー、ほんまに知らんと買ったんや。
松田:そうそう。岩波の青で、内容が仏教っぽいってだけで買った。
中垣:そういうことね。
松田:それにちょっと開いて見たくらいではさ、漢字だけの原文があって、書き下し文があって、現代語訳があるみたいな構成で、
ほとばしる霊性、間断なく展開される禅的論理、誤解を恐れぬ直指、まさに禅のカッティングエッジであり、これこそが思想のパンクロックである。全員読め。
中垣:はいはい。
松田:まあとりあえずはそれだけの話。で、何が言いたいかやねんけど、
中垣:うんうん。
松田:まあそうなりたいとは思いつつ、今の自分は全然そうではないし、なんなら一生そうはなれないかもしれない。
中垣:うんうん。
松田:ってなったときに、
平日の仕事終わりに不毛なYouTubeを見ることもあれば、休みの日だってボーッとして過ごすこともあるし、長期休暇って言われても特別やりたいことはないからとりあえずハワイでお茶をにごして…
松田:例えば何も考えずに電車に乗ってるときとか、ちょっと時間を潰すために茶店に入ってるときとか、そういう全く積極性の見られないタイミングって結構あって、
中垣:うんうん、
松田:あー、まあそうっちゃそうなんかな。
中垣:つまりアロンアルファ的なさ。
松田:アロンアルファの開発経緯は知らんで笑
中垣:なんかそうらしいよ。実験中にたまたま溶液が固まって、それをきっかけに製品化されたらしい。
松田:あー、それでいくとおれが言いたいのはさ、
中垣:あー、なるほどね。
松田:何も期待していない時間であっても、その時間が一定にのぼる以上、そこには何かを期待し得るというか…
中垣:うんうん。
松田:だから、
中垣:なるほどね。WEEKLY OCHIAIの銀髪先生おるやんか。
宮田先生な
松田:はいはい。
中垣:
松田:へー。
中垣:そういうのがあるらしくて、それも同じような意味なのかなとも思いつつ、でも単純にそれだけやと「クリエイティビティーは意図しないところから生まれる」みたいな、
なぜデザイン思考はゴミみたいなアイデアを量産してしまうのか – note
リンク先の文章、完全に頭いい人の書くそれで超好き
松田:そうやね笑 その考え方は結局回り回って成果を期待してるわけで、それは違うわけよ。
中垣:そうやんね。
松田:
中垣:そうそう。
積極的に過ごしていない時間からも何かが得られると期待することがよしとされる一方、いいアイデアが浮かぶことを期待して散歩をすることがダメなのはなぜなのでしょうか。
それは、前者の期待はまだ見ぬ世界へのopen-mindedな好奇心からの、それ自体が目的であり手段となっているものであるのに対して、後者の期待は偏狭に規定した世界のみが対象となっている、自己目的的な合理性を根拠とする打算的な手段でしかないからです。
既存の合理性を根拠として肯定されている価値以外にも主体的に見出されるべき価値は常に存在しているという立場からは、既知の課題の役に立つ未知の手段があるかもしれないという後者の立場からさらに一歩進め、未知の課題とそこから生まれる未知の手段を積極的に見出そうとする前者の立場こそがベターなスタンスだと信じています。
松田:そういうことじゃなくて、世界に対する
中垣:まあそうね。一応のところそれは偶然だったとラベリングしとくけど…もちろんそれが必然だったなんて、わざわざそんなスピったことは言わへんで、でも
“Dans les champs de l’observation le hasard ne favorise que les esprits prepares – Where observation is concerned, chance favours only the prepared mind”
– Louis Pasteur
Source: goodreads
松田:うんうん。
中垣:だからわざわざ「たまたま出会った本が人生を変えました」みたいに喧伝するのも違うよな。
松田:そうそう、間違いないね。
中垣:言い出したら、逆に誰だってそんなもんやん。
松田:まあまあ。
還元主義が嫌いな二人である
中垣:だから偶然か計画に基づいた選択であるかの区別にはあんまり意味はないなとも思いつつ…でもどうなんやろう、
松田:うーん、まあそうやね。todoリストが全てではないと。
中垣:でもほんまそうやと思うで。
松田:うんうん。
中垣:
未来への嘱望も過去への執着も人生の本義ではありません。前後を切断されたまさに今ここが人生なのです
松田:おれさ、
中垣:はいはい。
松田:どう言えばいいんやろう、オンでめっちゃ働いてオフでパッシブにリラックスするみたいな、それはちょっと違うんじゃないかみたいなことが言いたいねんけど…
中垣:うんうん。
松田:そりゃオンと状況は違えど、オフにだって自分なりにコミットして何かしらを実現していくべきで、
松田:だから結局、
中垣:まあまあ。でもそうやなぁ、間違いなくそうやと思う。
松田:はいはい。
中垣:未来のありたい自分からバックキャストして「今やるべきことはこれだ」みたいな考え方。
松田:そうやなぁ。
中垣:まあでもそもそもの話からして、なんとなく言いたいことは分かるというか。もし『臨済録』を選んだことを偶然と呼んでしまうのであれば、もしかしたら全く違う本を選んでいて、今の自分なら否定するものにドハマりしていた可能性だってあるって話になってしまうけど…
AKBの写真集買ってなくてほんとよかった
c 不誠実な中流根性
中垣:でも、それはそうじゃないんだというか、
松田:うんうん。
中垣:うん、そういうのはあるな。
中垣:…『バタフライエフェクト』って映画観たことある?
松田:映画? 知らんわ。
中垣:バタフライエフェクトってあるやん、まあそういう話。
二重振り子(にじゅうふりこ、英: double pendulum)は振り子の先にもうひとつの振り子を連結したもの。振り子を一旦揺らすと、カオスと呼ばれる極めて複雑で非周期的な運動が発生することで知られている。実物を比較的手軽に製作可能なことから、カオス現象の紹介や入門としての演示実験によく使用される。
Source: Wikipedia
松田:笑
中垣:
松田:はいはい。
中垣:いじめをしていたやつはめっちゃいいやつになってて、自分は半身不随になってるとか。
松田:はいはい。
中垣:そういう、ちょっとしたきっかけで全然違うシナリオをいくつか経験した後で、
松田:あー、なるほどね。
中垣:なんか自分の人生でさ、あそこでこういう場所にいなかったらこうはなってなかったとかって、それは間違いなくあるねんけど…
松田:うんうん。
中垣:もちろん気持ちとしてはさ、どんな道を経たとしてもおれはおれだと思っていたいねんけど、おそらく全てにおいてそうだとは言えなくて…うーん、どうなんやろ。
松田:まあまあ、いずれにしてもそれだけの話やねんけどな。
中垣:でも大学入って以降ってそういうのは少ないかもね。逆にちっちゃい頃って偶然ばっかりやん。
松田:あー、そうねそうね。
中垣:自分はこれがしたいって決めていったはずなんだけど、実はそうではない部分ですごい影響を受けてたっていうのはあるやん。
松田:うんうん。
中垣:でもそう考えると、そもそも今でもどっちかというと偶然に近いというか、
ですよね
松田:あー。
中垣:
松田:行きたいとは言ってたよね。
中垣:言っててんけど、でもレンタカー借りて何百キロも移動するなんて、よくそんなことできたなって。
松田:まあそうやんな。結構タフなことしてるよな。
中垣:そうそう。しかも初日からホテルもとってないから、
松田:うんうん。
中垣:で、レンタカーどうやって借りるんかも保険どうしたらいいんかも分からんけど、とりあえず向こう着いてから空港でググって、保険入って車借りて、どこまで行くか分からんままシアトル出て、とりあえずポートランドまで行ってそこでエクスペディアでホテル探して…そんなんようできたなって。
松田:そうやんな笑
中垣:でもイランも結構そうじゃない? 旅行ってそうなるよな。
松田:そうそう、旅行はそうなるよな。
中垣:
松田:だってイラン行ったときさ、適当にドル持って行って、たまたまドルの価値が3倍になってたからよかったけど、それでも持ってった現金ほぼ全部使ったし、ドルの価値が想定通りならどうするつもりやったん?っていう。
外国人が現金を引き出せるATMはイランにはないのです
中垣:そうやんな。
松田:うんうん。
中垣:そう考えるとやっぱり、
松田:そうそう。だから個人的にはね、この話はそこに着地させたいねん。
中垣:おれ、会社の前のコーチが完全にそういうタイプの人間やってんな。
松田:あー、バックキャスティングな?
中垣:そう。ひたすらそういう考え方をしてて、それをコーチングやと思ってんねん。
松田:笑
中垣:全然意味分からんかった。
明日突然病気になっても、昨日までと変わらず人生と世界を肯定的に確信しそれに働きかけ続けられることこそが大事なことなのです
松田:そうやんな笑
中垣:なんかまあ、偶然選んだことに特に意味づけを行おうとは思わないけれど、でもそれを選んだ自分は好きになれるというか。
松田:そうやね。いったんバックキャスティングではない、
中垣:そう。
松田:スピらない範囲でね。
中垣:そうそう笑
中垣:そう思うとさ、これちょいちょい考えるねんけどさ、
松田:行ってる間はね、バイタリティビンビンですよ。
旅行でずっと元気でいられるのはほんと不思議
中垣:こうなってくるとさ、
松田:笑 確かに。
中垣:
松田:あー、普段から旅行の気持ちっていうのは確かにいいな。
中垣:じゃない? だって普段の感覚やと、それこそ帰ってきて家が燃えてたら嫌やん。
月一でこれ観て、バックキャスティングな人生への批判的意識を養いましょう
松田:うんうん。
中垣:でも普段から旅行の気持ちでおったら、実際に家が燃えてたら「アー…」とは思うけど、
松田:うんうん。
2020年7月31日
Aux Bacchanales 紀尾井町
1999年公開の映画『Fight Club』。高級コンドミニアムにこだわりのインテリアを揃えて何の不満もない生活を送りながらも不眠症に悩まされている会社員の「僕」と、男性的な自信にあふれ性的にも自由なタイラーとの対比を通して、前後を切断された今ここに結果を顧みず身を投じることができない、バックキャスティングに人生を設計しそこで想定されていないものには目を向けようとしない考え方が批判されていると言える。
タイラーが車のハンドルからわざと手をはなし車線を外れて路肩にクラッシュする上記のシーンは、蓋然性の高い現代的な人生への強烈なアンチテーゼである。