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人生 思索 生きづらさ

強迫ガチ勢同士の近況報告

4 years

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匿名:バイトと勉強だけじゃね、あんまおもしろくないんだよね。バイトがもうちょっと楽しいといいんだけど。

松田:はいはい。

匿名:でも就職したらもっとおもしろくない…というか、ちょっと自分には辛過ぎて、おもしろいとかおもしろくないっていう次元では収まんないよね

松田:笑

匿名:普通に就職して働くっていうのは自分的に荒療治過ぎて、たぶん反動がすごいことになるんだよね。

c 包装を綺麗に開けられない

松田:なるほど。だからもっとこう、小さな振幅で、なだらかに改善にもっていった方がええってことやんな

匿名:そう、一日3時間のバイトからね。

松田:今は…それをほぼ毎日?

匿名:いや、週3日くらい。

松田:へー、なるほど。

勤労週0の顔

匿名:それでもね、一日3時間×週3日に加えて、準備のための1時間が一週間ごとにつくから、それで10時間×時給2,000円で週に2万円になるじゃん。

松田:あー、確かにね。

匿名:それでたまには4時間働く日とかを作ったら、それだけで月10万円って感じかな。わりとおいしいよね

松田:なるほどね。

匿名:やっぱ一日3時間くらいまでがいいよ。あとはバイトがある日の方が調子はいいんだけど、でもこれ以上増やすのもちょっとね。

松田:何やってんのか分からんくなってまいそうやもんね。

匿名:あんまり合格するのが遅れちゃって、貯金が減っていくのもまずいしね。

東大建築→司法浪人、なんでそうなった

匿名:でも結構楽しい日々を送ってるつもりだったんだけど…なんかこうやって話してると、あんまそんなふうには聞こえないな。

松田:いやいや、心穏やかに豊かな日々を送っているようには推察できたよ

匿名:まあね、以前と比べると日々の混沌さみたいなのは減ったよね。


匿名なんかね…かっこいい仕事をしたいよね

松田:うん、それはほんまそうやわ。

河東:それでじゃないねんけど、仕事してへん方がかっこよくなれる説っていうのがおれの中で出てきてん。

倉留:笑

河東:もちろんサラリーマンをしてても「この人はかっこいいな」って思える40代の上司とかはおるねんけど、でもニート…もちろん投げやりなそれじゃなくて、勉強したりこれこそはと思えることをやってるニート、そっちの方が絶対にかっこいいと思うのね。

倉留:いや、それはそうやんな。

河東:このままおったらほんまにかっこよくなられへん気がするのよ。

Source: commmon

c 「僕は僕で、僕という線では結構やらしてもらってるんですよ」

中垣:違和感がすごいよ、おれにはほんまに分からへん。ハヤカワ五味もバルクオムも、何がしたいんかほんまによく分からへん。

松田:なんかさ…別にお金を稼ぎたいからやっているわけでさえなさそうやねんな。

中垣:そう、そうやねん。そこがポイントやと思うねんな。

松田:だから言うたら、お金を稼ぐことにフォーカスできてる反社の方がしっくりくるまである。

Source: commmon

c 市場原理の競走馬の話

匿名:だから松田のやってるようなことは、ある種のかっこよさはあるかもしれないよね。ただおれはそういうことはしたくないというか、ちょっと無理だなと思うけど。

松田:うんうん。それで言うとUberEatsの配達員はできないって前に言ってたよね笑

匿名:そう。あとはAmazonの配達員も結局無理だったね。

松田:笑

c 医学科のやばいやつ

匿名:まあ…どれも最初の方はさ、全然人も集まってないし割もいいっていう時代があったわけじゃん。それくらいの感じならやりたいよね、かっこよさもあるし。

松田:まあそうね。


松田:おれはね、彼女の家に引っ越してからの方がなんやかやで調子がええねんな。

匿名:あ、そうなんだ。

松田:なんて言うんかな…もちろん今住んでる阿佐ヶ谷は、前まで住んでいた赤坂に比べるとある意味では何もないけど、だからこそいったん出力を絞れている感じはあるというか…

トレーディングミュージアムもエストネーションもバーニーズもない最低な街です

c 東京の希望、阿佐ヶ谷

匿名:まあなんとなく分かる。

松田:今までは自分にとって必要条件だと思っていたけれど、実はそうではなかったものとか、心情的にはなお必要条件だと思っているんだけれど、今の状況においてはコストを割くべきではないものとか、そういうのを一度全て手放して、手放したこと自体あまり気になっていないのは…まあ悪くないかな

いっそホームレスになってもよかったかも

匿名:それは住んでいる街に関してというよりは、部屋の中で朝起きて、その日一日をどう過ごすかについての話だよね。

松田:そうそう。街に関してはね、別にあちらとこちらで何かが本質的に違うということはないかな…まあ赤坂の方が変な焦燥はあるから、そういう意味でも今住んでるところの方が都合はいいよ。

匿名:なるほど。

中垣:でもそれありそう。焦燥…やっぱ都会に暮らしてるとそういうのってあるよな。

ミヒャエル・エンデ(2007)『自由の牢獄』岩波現代文庫
Image: 岩波書店

ミヒャエル・エンデ(2007)『自由の牢獄』岩波現代文庫

c 自分の人生を選ぶ苦しみ

松田:まあ今まではね、それも含めてこの生活を選んでいるんだという気持ちでいたけど、やっぱりちょっとずつ膨らんでいた歪みみたいなのはあった気がするし。

匿名:ふーん。

松田:それこそなんやろう、一時期ならiPhoneは発売日に最新機種に買い替えてあらゆる設定を把握した上で最適化しておくことが自分にとっての必要条件やと思ってたけど、そういう類のあたまおかしい強迫って今はないよ

匿名:あー、はいはい。

松田:あとはそういう強迫がなくなりつつあるから、逆に瞬発力をもっていろんなこと試せるようになってるしね

瞬発力をもって着手したフープピアスの製作、諸々納得がいかなくて次で8つ目なんだなぁ…

c 頭で考えるだけじゃ作れないもの

匿名:その必要条件っていうのは評価というか…信念みたいなもの? 何かに関してはどうなっていなければいけない、というか。

松田:うん、そうそう。同じシャツを2ダース買って絶対にそれしか着ないとか、そういうこと。

今やSEIYUのパックTがお気に入り

匿名:あー。

松田:そういう必要条件が多いときって、何か気になる物とか試してみたいことがあっても、それをガチガチに固定化した日常の中にどう導入していいか分からない、だからコミットしないっていう判断をしてたのね。

c 強迫ピープルの生態

匿名:はいはい。

松田:でも今はそういうのも全部試せてるし、その辺りは調子がいいかな。だからさっきは必要条件って言ったけど…

匿名:まあ強迫的だよね

松田:そうそう。そういう強迫観念によって日常が硬直していたところはあったから

匿名:うん、でも同じようなことは最近めっちゃ思うわ。

松田:まあとは言えね、この先は分からへんというか…一般論として、例えば大学を出たら就職をするというのもそうだけど、いつまでも発散的に物事に取り組むのではなく、どこかのタイミングでそれを収束させていく、要はひとつの山に登り出すことを選ぶべきだという考え方もあるわけやん。それが正しいかどうかは別として。

c 進歩主義的価値観と今ここの豊かさの対立

匿名:うーん…

松田:で、もしおれがそういう身の振り方を選ぶことになると、今のぐちゃっとした状況にグリットを引いて形を整えるように、ある程度強迫的な部分が出てくるだろうなとは思ってる

匿名:でもどっちかと言うとさ、今松田が身を置いているような強迫が排除されるような状況って、ひとつの山に登ることには向いている…よね?

松田:あー、はいはい。

匿名:つまり、何かひとつのことに決めてそれに取り組むとなると、どこかでしっくりこなくても理性でやりきることになるわけで、それってどちらかと言うと反強迫だよね。

松田:そう…それは確かにそうやな。だから例えば今 commmon を続けられているのも、かつてのような強迫がないからっていうのはあるな。

匿名:うんうん。だってね、できないよね。

松田:最も強迫的な傾向が強かった時期の自分なら、コードがぐちゃぐちゃとか記事のフォーマットが整っていないとか、そういうことが気になって一生前に進めてなかったと思うよ

匿名:うん、それはなんか思ったな。


匿名:なんか…ここ半年くらいでおれは人生観が結構変わってて、強迫の根っこには信念とか評価があるっていうのが、強迫性障害についてのふたつの臨床的な立場のうち片方で重視されていることなんだけど、おれが強迫的になっているのもそういうことなんだなって気付いて

松田:はいはい。

匿名:で、そういう信念とか評価から自由になっていくことに対する迷いは、今はもうあんまない

松田:うーん、なるほどね。

匿名:だってそっちの方が絶対にさ、物心つきだした頃の、ありありと生きている感じに近そうじゃん。評価にがんじがらめになってると、そういう感じからは絶対に遠ざかっちゃうし。

松田:うんうん、間違いな。おれも、そういう生々しさは最近感じられてると思う。

匿名:まあこう言ってると、強迫的な評価とか信念に守られている安心感もそれはそれで捨てがたい気もしてくるんだけど…でも、例えばおもちゃで遊んだら片付けなきゃいけないっていう話もそうなんだけど、一見すると「卵が先か鶏が先か」みたいにどちらも等価に見えるけど、でもやっぱり遊ぶことの方に優位性があるというか…

結局片付けるからと言って遊ばないのはおかしいでしょ?

c 自殺は餓死しか許されません

松田:いやぁ、それはほんまそうやんな。

This is the time you will be asked to choose between the “Everlasting No” and the “Everlasting Yea.” This choosing is what Confucius means by “study”; it is not studying the classics, but deeply delving into the mysteries of life.

Normallly, the outcome of the struggle is the “Everlasting Yea,” or “Let thy will be done”; for life is after all a form of affirmation, however negatively it might be conceived by the pessimists.

Source: Daisetz T. Suzuki(2019)『Zen and Japanese Culture』Princeton Univ Pr

Daisetz T. Suzuki(2019)『Zen and Japanese Culture』Princeton Univ Pr

匿名:それと同じような関係だと思っていて、ありありとした生というのがまず前提で、もちろん理性でそれをコントロールすることも必要なんだけど、決してそれが優位ではないというか。 

松田:そうね、ほんまその通りやわ。

2021年4月2日
西麻布 中垣の家

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