中垣:この前、会社の同期と久々に集まって飲んでたのね。そのときに
松田:はいはい。
(当時Tinderのアルゴリズムはまだまだで…)
中垣:それで、ドグマ的でないとかイデオロギーに捉われていない感じを言おうとしてんけど、でもそんなん言ったらひかれるしな…とかって思って。
Welcome, we have 497 articles here.
中垣:この前、会社の同期と久々に集まって飲んでたのね。そのときに
松田:はいはい。
(当時Tinderのアルゴリズムはまだまだで…)
中垣:それで、ドグマ的でないとかイデオロギーに捉われていない感じを言おうとしてんけど、でもそんなん言ったらひかれるしな…とかって思って。
中垣:
松田:うんうん。
中垣:それ系で、放課後に彼氏が彼女に勉強を教えてるアニメっぽいイラストの動画に、アテレコをしてるみたいなやつがあって。
松田:
中垣:うんうん。
松田:前々からちょろちょろ出てる話題ではあるねんけど、この二項対立は結構いろんなところに現れるなって思ってんねん。
第3村を舞台に、見るもの全てが新鮮に映るレイと、引きこもり状態を脱しヴンダーへ搭乗することを選択するシンジ。その二人の変化はいずれも、当為を見上げて硬直するのではなく、足元の現在から自分の世界と対峙することを選択した人を描いているのではないでしょうか。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を鑑賞して考察したことについて、実際の会話を文字起こししたものを、ささやかな解説としてお届けします。
[toc]
みなと:前に上げた記事とも被るんだけど、レイとか第3村の話はしておきたくて。
松田:うんうん。あのシーンにはね、我々が自覚して実践しなければいけないことが明確に描かれているもんね。

とう‐い【当為】タウヰ
〔哲〕(Sollen ドイツ)「あること」(存在)および「あらざるをえないこと」(自然必然性)に対して、人間の理想として「まさになすべきこと」「まさにあるべきこと」を意味する。当為にはある目的の手段として要求されるものと、無条件的なものとがあり、カントは道徳法則は後者であると考えた。新カント学派は真・善・美等の規範的価値を超越的当為とした。不許不。ゾルレン。↔存在↔不可不
Source: 新村出編(2008)『広辞苑 第六版』岩波書店
みなと:今日改めて観てみて、
中垣:なつきさ、そのリュックはなんなん?
なつき:これは

中垣:SFか、これかっこいいね。おれも買おうかな…
なつき:今日はちょっと荷物が少ないんだけど、でも本当は物をいっぱい入れたときの方が形が綺麗に出るんだよね。

山本
中垣の大学の友達。「身近で似た境遇の人間、かつ結婚している」というザル過ぎる理由で、金曜日の仕事終わりに愛知から東京に呼び出された。
結婚を信じられない面々が、別に信じて結婚をしたわけではない先人に教えを請う回です。
山岡:なんか、
中垣:あー…
山岡:
松田:前に京都に行ったとき、昼にその辺のレストランに入ってんけど
中垣:はいはい。
松田:ランチのセットが飲みもんとサラダとメインとデザートで1,700円くらい、まあ普通の値段やねんけど、すごいいいなと思えてんな。
中垣:松田には言ったけどさ、
ネイバーフッドの逆襲
「人を場所から切り離して理解することはできない。人間は場所なのである」という哲学者ガブリエル・マルセルの言葉に倣うならば、ぼくの大部分は鎌倉という場所でできている。近所や徒歩圏にこれだけの友人知人がいるなんて小中学校以来だし、ホームコースである裏山のトレイルを走れば隣町に暮らす母のマンションや父が眠る峠の墓地も眺めることができる。何より、「未来のことを考えるなら、自然の中で考えよう」という信念を、『WIRED』編集部の鎌倉分室を起点に実践するフィールドでもある。
鎌倉や逗子の地元コミュニティが心地いいのは、ネイティヴであれ移住組であれ、この土地が好きな人々が集っている点だ。人類が自然の創造物に本能的に向ける愛情を「バイオフィリア」と呼ぶように、人と場所や環境との情緒的な結びつきを、地理学者のイーフー・トゥアンは「トポフィリア」と名付けている。こうした土地(トポス)への愛着は、ネイバーフッドを語るうえで欠かせないマインドセットのひとつだ。そもそも「ネイバーフッド」という言葉は多義的で、近所や近隣の人々、近隣住区、あるいは親しさといったニュアンスを含んでいる。ここでは、ある種の「場所」に根差した人間同士のつながりと定義してみよう。
都市の近代化は、こうしたネイバーフッドをことごとく解体してきた。それは、都市計画の宿命でもあった。建築家の黒川紀章は著書『都市デザイン』のなかで、いまからおよそ100年前のル・コルビュジエと近代建築国際会議(CIAM)の理念を引きながら、機能的な都市における近隣住区というコンセプトの限界をこう表現している。「都市は開いた構造を求めているのである」
パンデミックによるロックダウンは、移動の不自由という制約によって都市を閉じたことで、ネイバーフッドの再発見をわたしたちに促している。これまで都市という欲望を突き動かしてきた経済資本だけでなく、そこで人間同士が紡ぐ社会関係資本やその土地に固有の自然資本、蓄積してきた文化資本といったパラメーターが突如として前景化した。それは同時に、日本における「ネイバーフッドの貧困」を露わにもした。世界中でロックダウン中に自殺率が下がった一方、日本で女性の自殺率が上がったことは、海外でも驚きをもって報じられた。不況のしわ寄せが女性に向かう「She-cession」と呼ばれる状況は各国にあれど、日本ではそうした経済の貧困の先に人間関係の貧困が現れていると、法政大学の保井美樹は著書『孤立する都市、つながる街』で指摘する。
ノーベル文学賞受賞後初の長編『クララとお日さま』を発表したカズオ・イシグロはそのインタヴューで、「縦の旅行」と「横の旅行」について語っている。世界中を飛び回っても同じ価値観の人々としか会わず、グローバルな同質性を強化する一方の「横の旅行」に対し、同じ通りに住んでいる人々でさえ、まったく違った世界に住んでいて、そうした人たちをもっと知る「縦の旅行」が必要ではないか、というものだ。
いまや「縦の旅行」を促すネイバーフッドの再構築が、世界中で始まっている。市民の手で公共空間を真のコモンズ(共有地)へと変えていくタクティカルアーバニズムやウォーカブルシティの構想はすでにパンデミック前から存在した。成長か脱成長かという不毛な二元論を超えて、人も経済もカルチャーもあらゆる関係資本が循環することで、まるで電流から磁場が生まれるように、多様なネイバーフッドが立ち上がっているのだ。
「わたしたちはテクノロジーの影響を短期的には過大評価し、長期的には過小評価する傾向がある」という有名なアマラの法則は、当然ながら都市という太古からのテクノロジーにも当てはまる。パンデミックが都市にもたらした影響について、ワクチンが行きわたった国々で人々が続々と街に戻って賑わいを見せる様子を見ると、この1年で都心の人口が減り、オフィスの売却や縮小が相次ぎ、飲食店が苦境に立たされたのも、短期的で過大な反応だったと思えるかもしれない。でも都市がその機能を止めたことで、人類はまるでSFプロトタイピングのような決定的な瞬間を経験した。結局のところこれは、インターネット誕生後に人類が初めて経験し、共有し、オンラインでつながったパンデミックだったのだ。その長期的な影響を、決して過小評価してはならない。
スマートシティやデジタル田園都市といった「都市計画」は、これから世界中で実装されていくだろう。物理世界とヴァーチャル世界が鏡合わせになったミラーワールドになっても、ぼくたちはささやかなトポフィリアをそこに抱き続けるはずだ。なぜならそれが人間の本能であり、昔もいまも、リジェネラティヴな都市の唯一の原動力だからだ。ネイバーフッドの逆襲は、すでに始まっている。
Source: WIRED.jp
ネイバーフッドの逆襲:雑誌『WIRED』日本版VOL.41の発売に際して、編集長から読者の皆さんへ – WIRED.jp
みなと:はいはい…とりあえず
松田:せやねん、ほんまクソやんな。
きゅー:転職のことを真剣に悩むようになって、

c 「している限りにおいてそれがしたいこと」ってどういうこと?
中垣:でも当時はしっくりきてなかったよね?
きゅー:その後冷静に記事を読んでみたら納得した。とは言え、
松田:そもそもそういうゲームやんって話やねん。
みなと:うん。
松田:
Loading...
Nothing more
Something went wrong