中垣:あの話をしたかってん、
松田:あー、はいはい。
松田:「社会は変えられる」って言うとき、その「社会」という表現は複数の個人からなる全体を想定しているわけだけれども、その全体が個人の集合として定義されている以上、社会が変えられる変えられない以前に、あらゆる個人の何気ない一挙手一投足はそれがなんであれn分の一の重みで全体に貢献しているわけで、そこを認識するのが先じゃね?って思ったのね。
太郎:あー、なるほどね。
松田:自分とは離れたところに「社会」なるものがあって、積極的な意志を持って初めてそれにはたらきかけられるというのではなく、こちらがどういった意図を持っていようが、そのことに自覚的であろうが無自覚的であろうが、お前の一挙手一投足はまさに世界を形作ってるんだよって。
太郎:うんうん。
Source: commmon
中垣:今までまあなんとなくは分かっていながら、
松田:笑
中垣:なんか…いいこと言ってんなというか、それを言えるのってすごいなって。
松田:どういうこと?
中垣:なんか当時思ったこととしてはね…ちょっとこれは具体例として最適ではないねんけど、
松田:うんうん。
中垣:まあこの例はあんま良くないとは思うで。つまり電気ってインフラ的なもので、選べるものではないからね。
松田:はいはい。
中垣:でもそこはいったん置いておくとして、要はいくら原発反対って言っても、あなたが東電と契約して原発で作った電気を使っているという事実は、結果的には東電を…
松田:まあ擁護していると。
中垣:そう。
松田:うん。
中垣:まあもうちょっとシンプルな例はあると思うねん。
かのこ:動物愛護を主張しながら肉食べるとか?
ドストレートの矛盾で草
中垣:まあそれも近いけど…
松田:東海オンエアを見ちゃうのとかがそれじゃない? バルクオムみたいな広告とか、広告というモデルそのものをクソだと言ってても、東海オンエアを見ている限りはそういう構造を間接的に肯定することになっているわけやん。
中垣:うん、確かにそれが近いかな。「まとめサイト死ね」って言いながらそういうサイトで情報収集はしちゃう、とかね。
松田:うんうん。
キュレーションメディアは確かに極悪なんだけど、“““白スニーカー”””とか“““コート ベージュ 春”””みたいないい加減な解像度で何かに興味を持つユーザー側も、たいがいアレですよね。
中垣:…で、
松田:うんうん。
中垣:でも最近、それは別に潔癖とかではなくて、シンプルにそうだと言えるんじゃないかと思った瞬間があってん。まあそれが具体的に何だったのかはちょっと思い出せないんだけど。
みなと:笑
中垣:でも松田にとって一挙手一投足の理論は、その説明ジャストそのままってことやんね。
松田:うん、まあそうやな。言っておきながら実際的には理念的に過ぎるとか、そうは思ってないかな。
それによって目に見える形で世界が変わっているかどうかはともかく、我々は日々世界を決定していると考えてみるのはどうでしょう。
Source: commmon
例えばある日のお昼にあなたがマクドナルドで食事をとったとして、あなたが実際にどう思っているかには関わらず、その行動の限りにおいてあなたはマクドナルドの存在する世界を肯定しています。もちろんその行動によって目に見えて世界が変わることは、それが単純な現状の肯定であるという点においても、あなた一人の力がわずかであるという点においてもないと言えるでしょうが、いずれにしてもマクドナルドが存在する(マクドナルドが商売として成り立つ)方向に世界を決定したとは言えますし、あるいはもしマクドナルドには絶対に行かないということを実践していれば、もしかすると遠い因果の先で、非人間的な食事のない方向に世界が変わるのに影響を与えていたのかもしれません。
いずれにせよ、それがいかなる類の行動であっても、それ以外の一切に影響を与えることなく何かを実行するのは不可能です。そう考えると、「社会を変えることはできるのか」といういまいちしっくりこない主題とその答えは、我々は日々の一挙手一投足を通じて世界を決定しており、その限りにおいては大いに責任を持っていかなる些事も決定しなければならないというふうに言い換えられるのではないでしょうか。
中垣:そういうことやんな。でもなんかね、すげえその通りやと思う気がするねん。何きっかけで思ったんやったけな…
みなと:笑
中垣:あー…たぶん思い出した。これは一般論として、
みなと:うんうん。
中垣:でもそういう簡単な仕事を任せられている本人からしたら、それに違和感を覚えることもあるというか、
松田:あー、はいはい。
みなと:ただそれって、よく考えると結構やばい話だよね。
中垣:そう、そうやねん。頑張れる環境がないと頑張らないって、お前の頑張るってどういうことなんだ?というか、
かのこ:笑
中垣:わらうけどね、でもこういうことってめっちゃよくあんの。
みなと:そうだよね。まあ上司とか、管理者目線の話としてなら分かるんだけど。
中垣:そうそう。それを本人が言い出したら、じゃあもう頑張るなよとしか言えないねん。でもそういうメンタリティってすごくよくあるなと思うねんな。
松田:うんうん。
中垣:で、
松田:あー…いや、個人的はちょっとまだ見えてない気がする笑
中垣:でも
それがなんであれ何かに不平不満を感じるとき、その裏には、その不平不満の対象が自分にとって解決可能な課題ではない、あるいはその課題は自分以外によってのみ解決され得るという、一種の自己効力感の不足が存在していると思います。
Source: commmon
例えば机の上からペンを落としてしまった場合、その事態に対して極端な苛立ちをおぼえる人はおらず、黙って拾って仕事なり読書なりに戻る人がほとんどだと思います。これはその事態がごく些細なものであり、その事態の解消にあたって自分が十分な能力を持っているという認識がある、つまり十分な自己効力感があることによるものです。
次に、これよりもう少し危うい例として、綿棒をケースごと床に落として中身が散乱してしまった場合を考えてみると、先ほどのペンの例と比べて苛立ちの程度や腰の重さがより強いことが予想されると思います。その事態の解決にあたっての手間を考えると、もちろんこれも当然のことです。それよりさらにひどい例としてはファンデを落として粉々にしてしまったなどがあると思いますが、ここで言いたいのは、事態が自分にとって容易に解決可能であるかどうかと、その事態に対する不平不満の強さというのは、おおよそ反比例の関係にありそうだということです。
このように、世界は自分を中心にそこから(物理的にも精神的にも)離れるにつれて、制御可能で十分な影響力を及ぼせる領域から、制御不可能で自分とは関係なく自律的に展開している(と思われる)領域までのグラデーション、言い換えると自己効力感を持てる領域から全く持てない領域までのグラデーションを描いて存在しています。このうち、最も自分に近く十分な自己効力感を持って積極的に働きかけられる領域が、精神発達につれ拡大していくのではないかというのが「私の膜」の要旨です。
初期の名作
c 二種類の認知の膜
松田:あー…うん、なるほどね。二種類の膜の話のときに出てきた、会社に文句言うやつは頭おかしいって話ね。
中垣:なんかもうちょっと普通の話をするとさ、同期が100人くらいおるねんけど、中には研修の時点で会社の文句言ってるやつもいんの。まじで意味分からんなと思って。それって要は、会社が対象であって自分ではないわけやん。文句あるなら辞めるか、変えていくためになんかネゴるかしろよって。
Source: commmon
c 二種類の認知の膜
中垣:そうそう。社会に対して十分な効力感を持てているのであればそれは一挙手一投足に表れてしかるべきなんだけど、その効力感がないと、
松田:うんうん。
When you grow up, you tend to get told the world is the way it is and your life is just to live your life inside the world. Try not to bash into the walls too much. Try to have a nice family life, have fun, save a little money.
Source: Wikipedia
That’s a very limited life. Life can be much broader once you discover one simple fact, and that is – everything around you that you call life, was made up by people that were no smarter than you. And you can change it, you can influence it, you can build your own things that other people can use.
The minute that you understand that you can poke life and actually something will, you know if you push in, something will pop out the other side, that you can change it, you can mold it. That’s maybe the most important thing. It’s to shake off this erroneous notion that life is there and you’re just gonna live in it, versus embrace it, change it, improve it, make your mark upon it.
I think that’s very important and however you learn that, once you learn it, you’ll want to change life and make it better, cause it’s kind of messed up, in a lot of ways. Once you learn that, you’ll never be the same again.
これが世界の真実ね
中垣:そこのギャップってなんなんだ?というか、お前は形而上のみの存在ではないやんというか。
松田:うんうん。
中垣:一挙手一投足の理論って要はそういう話なんだろうなって。で、それを社会に対する実効性の点から見るとナンセンスで、それを言い出すと確かに、個人の一挙手一投足に実効性はほとんどないわけよ。
松田:まあそうやんな。一人だけ真面目でもペイせえへんというか。
c お金と利己心
中垣:そうやねん。だからむしろ…
松田:
中垣:そう、そういう話やと思うねん。それに社会に対する効力感を十分に持てていれば…なんて言うのかな、つまり
松田:あー、はいはい。
中垣:もちろん社会に対する課題意識があるのは自然なことだし、それに基づいた憤りというのもあり得ることだとは思うんだけど…でも、
松田:うんうん。
中垣:後者は、言うたらおむつを替えてほしい赤ちゃんと一緒やねん。これはもう憤りでさえなくて、ただのわがままなのね。
松田:うん。
中垣:で、前者みたいに
松田:きっとガンジーには、私は虐げられているんですみたいな、周囲にエクスキューズを請求するような態度はなかったやろうね。まあ知らんけど。
中垣:そうやと思う。普通に生き生きしてたやろうし、楽しそうやったと思う。だから…現時点の状態は結局のところプラスなはずやのに、文句だけ言ってるとそれがマイナスになっちゃうねんな。
みなと:うん、すごい分かるな。
中垣:「こんなの良くない」みたいな、わざわざそういうことを言う必要がおれには分からへんねん。
みなと:うん。
中垣:つまり、そういう文句を言っている人がどういう状態になれば彼自身として問題は解決されるのかという観点に立てば、
松田:あー、うんうん。
中垣:
松田:うん。一挙手一投足って結局はそういうことやんな。
2021年4月18日
Caffè & Trattoria Michelangelo 広尾