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緊張から考える「私」「ローカル」「we」

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中垣緊張について思ったことがあるねんけど…

松田:はいはい。

中垣:緊張ってするやん、まあ普通の話として。

松田:うんうん。

中垣:たださ、まあ「私は世界であり世界は私だ」じゃないねんけど…悟ったら緊張ってせんのか?というか。

松田:笑

白濱:でもさ、僕にとっての「ユーザーフレンドリー」は、松田にとっては「ユーザー+松田」フレンドリーってことだよね? それって公共とは違うの?

松田:いや、たぶんちょっと違う気がするんですよね。僕にとってのそれは「ユーザー+松田」フレンドリーじゃなく、「ユーザー+松田=松田」フレンドリーですね笑

白濱:笑

松田:で、いわゆる「公共」にはイコールの先の部分はないんですよね。僕が部分であり全体であるというのは、まさにそういう意味に他なりません。

Source: commmon

c 禅的公共観

中垣:まあ悟ったらって言うとおかしいけど、例えば自分が1000人の前で講演をするとか、あるいはライブをするとかって考えてくれたらいいねんけど…いつもすごい思うねんけど、観客として見てるおれは緊張するわけがないねん。わくわくして「いい演奏してくれよ」って思うだけで。でも、出演してる人は普通に考えたら緊張しそうなもんでさ…

松田:はいはい。

中垣:なんだけど、そこで言う私と彼というか、観客と演者の区別ってなんなのかというか

松田:はいはい。

中垣:言うたら演者が観客の気持ちで演奏できてりゃ、緊張なんてあり得ないわけやん。で、ほんまのプロとかあるいは慣れてる人ってそういう気持ちでやってるんやと思うんやけどね。まあ知らんけど。

松田:うんうん。

中垣:それで結局言いたかったのは…まあ緊張ってなんなんやろうというか、ステージに立った瞬間、急に私が“““私”””になってしまうというか。もちろんそれは物理的に隔てられているからということもあるんだろうけど、私が私であることがことさらに意識されてしまうよなと思ったのね

c 二種類の認知の膜

松田:あー、はいはい。

中垣:ライブを観ながらいっつも思うねん。演奏する側が観客と同じ気持ちでやることだって不可能ではないはずやのにって。

松田:うんうん、まあ確かにな。

中垣:だからバンドのライブに出るときも、わざと普段着で髪の毛とかも適当でやったら、やっぱりいくぶん緊張しなかったりするねんな。隔たりが少なくなるというか。

松田:あー、なるほどね…てかこれ、ローカル案件なんじゃない?

中垣:ローカル案件…なん?

松田:笑 だってたぶんやけどさ、ローカルって緊張しないやん?

中垣:うん、ローカルは緊張しないね。

松田:で、1000人の講演会はローカルじゃないやん?

中垣:ローカルじゃないね。

松田:そういうことが言いたい。

中垣:あー…そういうこと? そうか、でもそういうことか。

松田:だからあれやね、ローカルは私のローカルでしかあり得へんねん。

中垣:そう、そうやねん。それはもう私やから、他と比べるとかじゃなくなってくるわけ。

松田:うん、もう悟りやね。ローカルは悟り。

中垣:そう。もう云々とかじゃない、是とか否とかじゃないわけ。ローカルはジャストローカルやねん。

松田:絶対に一般化されへんもんね。今ここの具体であり続けて、その限りにおいて圧倒的なリアリティを誇っている、これがローカルやね。

Source: commmon

c Nurture your own local

松田1000人の講演会で緊張するのは、私と彼らとの間に変な一般化が生じるからやと思うねん。だからもう、1000人の講演会とそれに類することは、そんなもんせんでいい。

どこにもいない“““みんな”””より、今目の前の彼ら/彼女らにフォーカスしような

c 市場原理の競走馬の話

中垣:笑 でもそういうことやね…てかそれはそうかも。おれはライブが全然好きじゃないってずっと言ってるけど、それもそういうことかもな。

松田:うんうん。

中垣要はローカルだと思えていない観客と何を共有できるっていうんだというか。まあもちろん、おれが言うローカルにも問題はあるというか、自意識が過剰だって話はあると思うんだけど。

松田:はいはい笑

中垣:ライブが好きな人ってみんなで楽しんでる感じがあるというか…まあそれがローカルなのかは知らんが、でもみんなで共有できている感じはあると思うねん。

松田:うんうん。

中垣:そういう意味ではライブがだめというよりは、おれがだめなだけっていう…

松田みんなをファミリーだと思えていないんやね

みなと:笑

松田:そうそう。しかもさ、パンピーを心地良くさせるのであればそれは別に自己啓発本にもできるねんけど、ディズニーがすごいのは圧倒的にフィジカルなボリュームがあるところで、それがあるからこそなかなか反論できひんわけやん。だって事実そこにあるわけやから。

中垣:ただおれ、そもそも長らく行ってないし、行ったときも別にそんなに楽しいとは思ってなかってんな。

松田:え…?

中垣:そういうやつもいるねん。ディズニーに行っても自意識とか持ってるやつはまじでクソでそれはおれです。

松田:笑

中垣:それにしても世の中なんて半分ディズニーみたいなものなんだから、みんなもっとそう思えればいいのにね。なのに、なんでそんなに真剣そうにしてるんやろうね。

Source: commmon

c ディズニーで知る、世界に対する肯定的確信

松田:あと緊張についてやと…最近ちょっと思うねんけどさ、大谷翔平ってめっちゃへらっとしてへん? 緊張とか全然しなそうやん。

中垣:ちょっとおかしいよね。あかん人の顔してるよね。

松田:そう。なんかいつ見てもサウナあがってすぐの顔つきしてるやん

中垣:してるね笑

松田:あれはちょっと、世界にローカル感じられていそうじゃない?

中垣:でもそうやんな。あれだけすごいともう、どこかの段階で自分がどうとかじゃなくなってきてると思うよ

松田:うんうん。

中垣:世界の中に自分という境界を引く必要がないというか、そうしたところで…っていう。

c 溶けていく境界線と永遠のベータ版

松田比較によって語られるものじゃないもんね

中垣:そうそう。

There was no boasting in his manner and consciousness, no thought of comparison. His attitude was not: “I can do it better than you,” but simply: “I can do it.” What he meant by doing was doing superlatively.

Source: Ayn Rand(2005)『Atlas Shrugged』Signet

こうありたい

Ayn Rand(2005)『Atlas Shrugged』Signet

松田:それで…まあすげえ適当に言うけど、一流のスポーツ選手って要は思った通りに身体が動く人達やん?

中垣:まあそうやね笑

チコちゃんに叱られる! 運動神経
Image: NHKオンデマンド

この回の運動神経についての解説が結構好き

チコちゃんに叱られる! ▽運動神経とは▽海水の謎▽ボクシングのリング – NHKオンデマンド

松田:つまり心身の強調がすごいわけよ。そうなるとさ、それを突き詰めた先で緊張とかしなくなるっていうのはちょっとありそうじゃない? 「だって思った通りにできるし…」みたいな。

中垣:あー、そういうこと? でも確かにね、そこの乖離がそもそもないってことね。

c インテレクチュアルとフィジカルの乖離

松田:そう。だから逆に、ヒーローインタビューとかはまじでだるいと思ってるかもしれん。感じていることとそれを口にしたことの協調は、一方でそんなになさそうやもん。

中垣:そういうことか。喋った瞬間なんか違う感じになってくるんか

c スポーツ経験の言語化

松田:でも口をつぐんで身体を動かしてる限りはもうすごいわけ。変な焦燥なんて感じない。世界は圧倒的に思い通り。

中垣:でもそれはありそうやね。

松田:以上、松田のガバ仮説ね。

中垣:緊張か…でもやっぱ無理やな。おれは we を感じられないよ。

松田:笑

中垣:でも一方で確かに、緊張しないライブとか緊張せずに話してるときとかって we 感がすごくある。「誰がなんと言おうとおれがこの空間を仕切ってるんじゃ」っていう、そういう気持ちがすごいある…し、緊張するときっていうのはもう負けてるねん。それはやりながらもすごい思う。そういうときは何もかも上手くいかない。

松田:そうやんね。なんかおれ…初対面の人と会うときさ、できるだけ目があった瞬間にニコってするようにしてるねん笑

中垣:アメリカ人やん笑 でもそれができたら勝てるよね。

松田:まあ勝つとかでもないねんけど…でもそれで we が爆誕する感じはあるよ。

中垣:それで…まあアメリカのことばっか言ってもあれやけど、やっぱりアメリカってざっくりしてて、褒める気もないのに「そのフリース、とってもクールね」みたいなことを言ってくるわけですよ。ああいう感じはやっぱいいよなって。

白濱:うんうん、確かに。

中垣:だから例えば、日本語が苦手な留学生がそのライングループの半数を占めていれば、もう文面や敬語の使い方が多少どうでも、そこに悪意があるのかなんて分からないじゃないですか。

白濱:うんうん。

中垣:つまりアメリカと同じように、コミュニケーションの芯にしか意味がなくなる感じがあるというか。

白濱:あー、なるほどね。

Source: commmon

c 無駄がなくかつ豊かなコミュニケーションの方法

中垣:相手に勝つというよりは空気に勝てるよね。

松田:あー、そうそう。自分の空気になる…し、それは別に相手の空気であることとも矛盾しない形でそうなるねんな。まあ言うたら we の空気やね

中垣:いやー、でもそうやんな。やっぱさ、何かしら自分とそれ以外との境界線が発生しそうになる場面でさ、最初にポジティブなアンカーを打ちにいけるといいよね。これがネガティブなアンカーやとあかんねんけど。

松田:ネガティブなアンカーっていうのはつまり…「そのシャツどこのなんですか?」ってやつやんな。

代々木上原の飲食店に入ったときのあれ

中垣:だからさ、「代々木上原が好き」みたいなのも雑誌とかではそういう豊かさの文脈で語られがちやけど、でも実際は全然違うよね。あんなん排他性の塊やもん。

松田:うん、間違いない。代々木上原が好きとか言ってるやつは死ねとしか言えんね。

中垣:ほんまに。

うーん、排他的

西川:なるほどね。でも確かに、代々木上原ってまじでお店入れないよね。

中垣:ね。店に入った瞬間店主と客に上から下まで舐めるように見られる、そういう感じやんね。「…いらっしゃい?」って。

西川:そうなんだよな。中の人にとってはそれで楽しいんだろうけどさ。

Source: commmon

c 東京の希望、阿佐ヶ谷

中垣:あー、そうそう笑 その瞬間に壁がバーンって立って、お互いに競争が始まるよね。「そのシャツどこのなんですか?」か…いやー、そうやんな。

松田:笑

中垣:し、別に自然に we の空気にできるやつっているよな。小学生のときでもいたと思うもん、あれはなんなんやろうな。

松田:うんうん

中垣:まあ…めっちゃザルいけど、親がそうなら子もそうなるって話はありそう。

松田:あー、あると思うな。うちの親はそうじゃなかった。

中垣:おれもそうなんよ。ってことはたぶん、10世代遡ってもおれらの先祖は陰キャやで

みなと:笑

松田:だからやっぱ、陰キャの血はおれらでなんとか絶たなあかんね。てか小さいとき思ってたもん、うちは父親がまあアスペやねんけど、近所の人への挨拶がなんか変やってんな

中垣:あー…

松田:なんかね、ペッパーくんっぽさがあるというか…外形的な愛想の良さは特に劣るところはないねんけど、なんか「絶対にそう思ってへんやろ…」っていうのを、何かしらで確信させてくる感じがあってんな。

みなと:笑

中垣:おかんの電話みたいな感じか。

松田:あー、そうそう。おれはあれを見ながらね、これについては彼からは学べそうにないと、うっすらとそう思ってたよ。

中垣:でもそうやんな。だからあれやん…まあちょっと慎重になった方がいい表現やとは思うけどさ、黒人のぶっといゴスペル歌手みたいなおばはんがやってる音楽教室に週3くらいで通わしたらいいねん

松田:うんうん。

20年後これのせいで解任されたら嫌だなぁ

五輪組織委、止まらぬ迷走 開会式演出の小林氏解任 – 日本経済新聞

中垣:音楽教室やけど、別に音楽やらんでもいいねん。あのノリで歌って踊ってコミュニケーションとっていてくれればいい。

松田:でもさ、そこから帰ってきた家に中垣がいたらさ、親子の断絶やばそうじゃない?

中垣:確かに笑 でもちょいちょい思うねんな。いくら口を開いても、最初から差をつけられている何かがあるというか

松田:はいはい。

中垣:さっきのライブの話とかもそうやけどさ、「じゃあライブなんてしなきゃいいねん」って言いたくなるけど、でもそれはおれだけ、みたいな。みんなは全然楽しめてるし別に緊張してもいないっていう

松田:あー、うんうん。

中垣:これに限らずいろんな話題でちょいちょい思うねん。自分とそれに類する人ならば「うんうん」ってなるねんけど、そうじゃない人もいくらでもいるんやろうなって。

…で、結局のところ緊張するってどういうことなのでしょうか。
上記の会話の中では、緊張を感じる例としては「1000人の前で講演をする」「私が私であることがことさらに意識されてしまう」「we を感じられない」「そのシャツどこのなんですか?」などが、一方で緊張を感じない例としては「演者が観客の気持ちで演奏できてりゃ」「ローカル」「心身の強調がすごい」「サウナあがってすぐの顔つき」などが、それぞれ挙げられています。
ここから考えるに、緊張を感じるとはつまり、私という存在がどう説明されるかについての問題なのではないでしょうか。前者の例はどれも、今ここの自分ではない何かによって自分のあるべき姿や期待される姿が説明されており、実際の自分がそれに応えられるかどうかが問われている状況ですが、一方で後者の例においては、私という存在はまさに今ここにいる自分によって、前説明的に描写されているとでも言える状況です。前者においては私という存在をめぐって二元的な乖離が存在していますが、後者においてそれはありません。つまりフィットしているんですね。
余談ですが commmon では以前、いわゆる六本木のパリピもアメリカのゴリマッチョパリピの中に置かれたら陰キャ的な振る舞いをせざるを得なくなる、などと言っていたことがあるのですが、これも先の話と同じように、つまり私という存在をめぐっての二元的な乖離の有無の問題として理解することができそうです。

c 陽キャ/陰キャ・モテ/エッジ


中垣:てかみなと、さっきからずっとピアノ弾いてるやん。

松田:全然話さんやんと思ってたわ笑

みなと:うん、まじでずっと弾いてるね。同じフレーズを何回も弾いてる。

ここにも一人…

2021年7月21日
Clubhouse

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